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博多祇園山笠「追い山」午前4時59分

2019-07-16
「時計見せてくれますか!」
「はい、どうぞ!」
「よっしゃ!59分 山が来るぞ!!!」

「沿道に4時に着けば、通りに面した最前列に陣取れる」と、博多が初任地である友人から助言をもらっていた。午前3時過ぎに起床、起き抜けでそのまま博多の街へと僕は繰り出した。街には似たような計画の人々が同じく博多駅から祇園方面へと進むにつれて、多く見られるようになった。僕が目指すのは、同じく友人の助言で山笠が出走を開始する櫛田神社から通りに出て走り出しの要所である。トイレの利用が大行列になっているコンビニで珈琲を買い込み、規制線のロープが張ってある沿道最前線に陣取った。僕の前にはある「流」の水掛け人が大きなポリバケツに水を湛えて、小バケツを手に控えていた。何度か沿道の僕ら見物客に小バケツで水を掛ける動作をし和ませていたが、出走開始時間が近づき僕に「時計を見せてくれ」と声を掛けてきた。すかさず手元のスマホ画面を見せると、ちょうど「4時58分」の最終桁が「9分」に変わる刹那を彼は見つめた。それが冒頭に記した僕と彼との会話である。

山車は「流」ごとに7連やって来る。「流」を示す先陣の幟が走り来て、中高生ぐらいの少年たちが立て板に書画きされたものを前面に示してその後を走る。その後を老いも若きもが褌に法被姿で尻も露わに走り来る。中には祖父と孫かとも思える二人が手を繋ぎ、未だオムツが取れないような幼児までもがオムツの上からふんどしの一本紐を通して歩いている。尻を露出するという「非日常」こそが、公共の沿道をすっかり「祭り」の空間へと変化させる。歩き走るごとに動く尻の大臀筋、連なる大腿部の筋肉の動き。かなり高齢のお爺さんまでもが、ゆっくりと確実に歩む姿もあった。その光景を見ていて、僕はなぜか理由なき涙が流れてしまった。博多の街という人口密度にしての所業であろうか、激烈な少子高齢化の進むこの国で確実に三世代以上の「尻」が継承されている生命感。これぞ社会を形作る「命」の象徴的な姿なのであろう。「祭り」には「オイサッ!オイサッ!」という掛け声よろしく性的な情動を駆り立てる種の保存という意義が、文化人類学的に含まれている。まったくと言っていいほどに「あてにならない」政治発言とは裏腹に、博多の「命の継承」がこの「祭り」に溢れ出ていた。命が繋がることへの限りない喜び、僕の涙は今思えばこういう理由があったのかもしれない。

全国の「祭り」を見てみたい衝動に駆られた
すっかり夜が明けた街で一休みして
僕は博多で「継承」の業務のためスーツに身を固めた。


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