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「忖度」しない短歌の読みー宮崎大学短歌会七月歌会

2019-07-11
「他人の心中やその考えなどを推しはかること。推量。推測。推察。」
(『日本国語大辞典第二版』より)
いつしか利害関係に擦り寄る下劣な行為のことに・・・

『心の花』6月号の「東京歌会記」欄に、佐佐木幸綱先生の「大学短歌バトル」への感想談が記されていた。「皆が忖度して読んでくれると、表現が荒くなる、甘くなる、それでいいや、ってことになる。皆が意地悪して読んでくれた方がいい。」とあって誠に的を得た談であると記憶に刻んだ。僕自身もこの2年間の「大学短歌バトル」を観戦して、同様の所感を持っていた。相手方の歌を「深読み」し過ぎるあまり、舌戦の中で「敵に塩を送る」ような結果になった戦況を何度か目にした。もちろん緻密に読むことは大切なことであるが、緻密を究めればむしろ相手の歌の表現の不確かさこそを「送る」べきではないかと思う。昨今、巷間では世代を問わずに「同調圧力」の旺盛な頽廃した社会が垣間見える。公正に正当に意見を交わすことさえ、失われつつある社会を憂えざるを得ない。

前述した佐佐木幸綱先生の談には「冷たく読まないと、歌が下手になるんだよね。」ともある。そのような意味において、宮崎大学短歌会の歌会はどうなのかと考えてみた。可能な限り顧問である僕自身も歌を出詠し、会誌などにも自歌を寄稿する。会長を務める学生が、このような顧問も参加する姿勢が「みやたん」(宮崎短歌会の愛称)の一つの特長であると言ってくれたことがある。何より僕自身が若い学生とともに短歌を学ぶ機会として、歌会を大切にしたいと思っている。固まって来たメンバーで歌会をやっていると、どうしても出詠歌が誰のものか必然的に予想がつくようになる。僕の場合は基本的に「文語」で作歌しているので、比較的に「みやたん」の詠草においては目立ってしまう。だが学生たちの「読み」に、僕への「忖度」を感じたことは一度もない。むしろ「わからない」と言った意見もよく出て来て、表現力の不十分なことを悟ることも多い。こうした意見交換の基本姿勢こそは、今の若者たちに求められる「対話力」ではないか。

頽廃的な思慮が社会を濁らせる
短歌は正直に何もかも曝け出してそこに立つ一行の詩である
「ことば」を大切にしてこそ真っ当に生きることができる。


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