口では是々非々ご都合主義
2019-07-05
「是を是とし、非を非とするすること。よい事をはっきりよいとし、悪い事は悪いと公平な立場で判断すること。」
(『日本国語大辞典第二版』より)
「公平」とは何か?と時節柄ついつい考えてしまうことが多い。幼少の頃に家が近くて親同士の関係もあって、よく遊んだ同年齢の子どもがいた。早生まれで比較的気弱であった僕は、奴の言われるがままの遊びを否定もせずに受け入れていた。学校などでは奴もそれほど幅を利かせている訳ではなく、自宅で僕と遊ぶ際のみに上に立てる優位性に酔っているようなタイプであった。小学校も低学年の頃までは、僕もまさに言われるがままに奴の行動を受け入れてしまっていた気がする。だが学年が上がるにつれて、その言い分が理不尽だと気づくようになってきた。3年生になった頃であろうか、公園で奴と「駆けっこ」をしたことがある。次第に体力もついてきた僕は、スタートダッシュで奴を引き離す走りができた。その際の奴の言動は、まさにご都合主義とも言えるもので、今でも鮮明に記憶に残っている。
奴は自分がスタートダッシュで優位に立つまで、「今のは練習」と言い続け「駆けっこでの負け」を公式に認めなかった。僕も意地になって毎回のスタートダッシュで優位に立ち続けた。しかし3回ぐらいでさすがにその「スタート」が「偶然」ではないと悟らせようと思っていたが、姑息にも奴は5回6回とその「不公平」な認定を身勝手に続けた。体力はあっても回数を重ねるたびに、その理不尽さに根気が尽きてきた。僕の気が萎えた際に、奴がスタートダッシュしてそれが「公式」な「駆けっこの勝利」となった。だが僕は考えた、トータルで7回のうち6回は僕が勝っているので「6対1」の勝利ではないかと。所謂「平均値」を考えれば、間違いなく僕の勝利である。だが僕は何も言う気はなかった。「勝ち負け」を基準にしても何ら意味がないことを、むしろその経験で学んだからだ。巷間では今も自分はさておきなご都合主義が、いかに蔓延っていることか。
「AかBか」という問いへの対応でわかるご都合主義
自分の「負」は無きものとする子どもじみたあの奴
幼い記憶にも「公平」とは何かを考えさせてくれた奴がいたわけであるが。
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