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思い出は浅くなってしまったのか?

2019-07-03
SNSの隆盛で「いつでも会える」
学校時代の「思い出」は軽くなっているのか?
「今」を大切に生きる心から・・・

「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」学士力発展科目の講義もあと5回。先週は「学校と恋愛」というテーマで、サザンの「夕陽に別れを告げて〜メリーゴーランド」を扱った。「色褪せた校舎に別れを告げる、鎌倉の陽よさようなら」と歌詞にあるように、高校卒業をテーマに恋人や友人たちとの別れを人生の円環の中に位置付けるような内容である。学生たちの講義の「気づき」を記した用紙には、「まだ高校卒業して間もないので」とか「現在はSNSがあるので卒業しても友人とは繋がっている」といったコメントが多く見られた。その一方で「もっと高校時代を恋もして大切に生きればよかった」など、聊かの後悔を述べる者もいた。それに対して僕からのコメントで、「大学生である今も青春ど真ん中なのだから、この時に後悔がないように」と「現在」の価値を認識してもらうような言葉を贈った。中には、高校が女子校男子校で「恋とは無縁だった」という思いを書く者も見られた。

70年代の学園ドラマなども講義で紹介したが、嘗ての学校は「人間的な成長」を重視すべく楽しい場所であったのだと思う。当時の学園ドラマでは大抵が「ガリ勉」の生徒が「恋」などに目覚め、人間的な自分を取り戻す物語が埋め込まれていた。主人公の教師は当該教科を教える力は薄く、だが暑苦しいほどに人間臭いキャラクター設定がなされていた。「今日という一日一日を楽しく生きないでどうするんだろう」といったフレーズがドラマの最後に字幕で流れ、教師と生徒が友人のように戯れる場面で1回のドラマが完結することが多かった。主人公の教師が転任となれば、クラス全員が今生の別れのように涙し、いわんや卒業式をやの大騒ぎである。初任であった頃の僕は、こうしたドラマの影響もあってか、卒業時などはいかにも感傷的になっていたと記憶する。さすれば現代の教師や高校生はどうなのだろう?入試対策の場となっているごとき高校での、人間的な繋がりの後退を少なからず憂える。「いつでもスマホで連絡できる」という安易さが、別れの意味を曖昧にしてしまっている。されど、青春の時が二度あるわけではない。誠に無機質になった時代に、昔と変わらない感性を持った学生たちもいることを希望に、僕は大学基礎科目で「恋」の大切さを訴えているのである。

人生に「錨を下ろそう」
それができるのが短歌である
人間的なつながりとは「ことば」を大切にすることからである。


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