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令和老若歌合ーみやざき短歌のつどい

2019-07-01
「歌合とは」の講話担当
学生たちを交えた「老若」の対話
「短歌」は人を繋ぐ

福岡での学会にて博多に宿泊し一夜が明けた。9時台の航空機で宮崎まで帰る予定であったが、どうも悪天候のためか当該便が遅れたり、他社の宮崎行きは「福岡へ引き返す条件付運航」などとアナウンスが喧しい。約1時間の遅れであったが、午後から開催の宮崎歌人協会主催の「短歌のつどい」にはかろうじて間に合った。冒頭の会長ご挨拶の続き、「歌合とは」と題して講話を申し上げた。判定・参加者の構成・進行などの概要を述べた後、初期の歌合が「物合」の形態に歌が添えられる形式であったことから紹介。嘗て論文に「和歌表現の再評価」について執筆したことがある「寛平内裏菊合」について、菅原道真や素性法師の歌を対話的な視点で取り上げた。その後は「天徳四年内裏歌合」における、著名な『百人一首』所収の二首(40番41番)の名勝負について述べた。時代が平安末以降になると遊宴行事から文芸本位の歌合となり、百首歌が盛んになることから、「六百番歌合」のような行事が現れ「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」とある藤原俊成の著名な判詞などを例に、「艶」などの美的観念を表現する語が批評的に出現することを述べた。

その後は協会の会員の方々と宮崎大学短歌会のメンバーを混成した左方・右方による歌合行事を実際に行った。そこでは判者を務めたが、まさに老若相交わる舌戦は実に見応えがあった。題詠は新元号から「令」又は「和」。「獺祭」の日本酒と「白和え」、「思いを中和する」抽出「コーヒー」の対決。日向に伝わる「和泉式部」伝説と「召集令状」の歴史的事象の対決。日常で目にできる「尺取り虫」に「令せしは誰」と「われ」が問いかける歌と、「マラトンの伝令」という古代の人物に仮託して「自我」意識を語る歌の対決。いずれの2首ずつの対決も、双方の意見が対話的に展開し、激しく和やかな中にも歌の読みが深まる機会となった。判定は「赤2本」+「持(引分)1本」で「赤」の勝ち。その後、前述したような双方の歌に判者として評を述べた。勝ち負け以上に年齢を超えた歌合という対話機会が貴重であり、やはり「短歌は人を繋ぐ」ことを実感。それこそが「和」歌である所以ではないか、というご意見もいただいた。宮崎は、知事からして「短歌県」を推進しようと常々口にされる。「歌合」が盛んであった平安朝においても文治主義を貫く御代こそが平和であった。穏やかなみやざきのためにも、大変に意義ある機会であった。

世代を繋ぐ短歌
対話して双方の読みを深める機会
短歌県の地道な底力に出逢った思いである。


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