恋と学校ー青春ドラマを引き継ぐ
2019-06-26
あの下駄箱に咲いた恋放課後のグランドに汗と甘酸っぱさと
「涙は心の汗」などと現代の学生には・・・
本年度から担当の学士力発展科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」もあと5回の三分の一を残すところまで来た。手探りで様々な試みをして来たが、「ことば」を通した文化の継承という意味でも大きな意義があるように思う。今回は「恋と学校」というテーマについて、学生たちとともに考えてみた。多くの人々が通ってくる学校という空間、そこに集まった「仲間」のうちでは名も知らぬ青春ドラマが常に繰り広げられていると言ってよい。だが、「青春」という語彙そのものが最近は過去のものになりつつあるのかもしれない。だがしかし、思春期の多感な時期に「恋」のような「叶うか叶わないか不安定な心理的な彷徨」を経験することは、その後の人生を歩む上で大きな免疫力を養うようにも思う。このような意味で、「恋と学校」というテーマは永遠に普遍的なものと考えたい。僕自身は男子校の出身であるゆえ、通学時など学外でしか恋が芽生える機会もなく、成長の機会を逸したように後々よく考えたことがある。然れど、大学は文学部という女子比率の高い環境に進学したことは、その反動的な奇遇であったかもしれない。
70年代のテレビでは青春ドラマが花盛りであった。中村雅俊主演の「俺たちシリーズ」など学園ものに限らないが、同一キャラクターで「われら青春」や「青春ど真ん中」「ゆうひが丘の総理大臣」などがあって、少年時代にこれらを観た僕は、少なからず自由奔放な「教師」に憧れを抱く要因にもなった。「人生も学校も楽しむところ」と主張する中村演ずる青春キャラクターは、破天荒であるが人間愛を十分に感じさせるものがあり、そのややぎこちない演技と相まって人気を博していた。その後、社会派学校ドラマ「3年B組金八先生」からは、解決すべき教育の課題が突きつけられた思いもしたが、余計に「教師」への情熱を高めてくれたように思う。その結果、僕自身が現実の「青春ドラマ」の舞台に入り込み、生徒たちともに熱く過ごす時代となる。そんな折しも、「白線流し」のような現実の地方の高校のよさを焦点化したようなドラマも登場。僕自身は研究者としては遠回りをして今に至るが、人生において20代しかできない「ドラマ」の舞台を経験することができた。講義では舟木一夫「高校三年生」も紹介し、その歌詞の素朴さを学生ともども味わってもみた。世代を超えた青春の味を、共有できたのではないかと思っている。
「詩を読みてわれと少女らゆるやかに老ゆ教室の空なるつばめ」
(米川千嘉子さんの短歌から)
「老ゆ」とは「大人になる」ことか、人生はいつも青春だと思って「つばめ」のごとく。
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