詩的言語と想像力のこと
2019-06-22
「伝達言語」とは異なる想像力の共同体共感性をもって多くの人に受け入れられること
多くの子どもたちが対話して自らの想像世界を広げる
ゼミ4年生が教育実習を終え、各自の研究授業に対して国語教育上の課題を提示した。課題解決の方向性を各自が発表するゼミを、この日から2週にわたって行う。漢字学習の日常生活での活用?「感想文」とは何を書けばよいのか?説明文の「事実」とはいかなるものか?そして物語・小説教材の「叙述」「描写」「心情」とはどのように考えたらよいか?などのテーマにゼミ生からの提案があった。教育実習では文学教材を扱った者も多く、子どもたちの多様な想像力と向き合った授業づくりをしたことにやや安堵を覚えた。昨今の教材観からすると説明文に偏向する傾向も否めず、現場教員の方々も文学教材の価値を見定め難く思っているきらいがある。反動的に教育実習で文学教材が多かったのでなければと杞憂をしつつ、豊かな想像力を教師への希望と関連付けた実習を行うことができたゼミ生たちは幸せであった。
「国語」は歴史的経緯からして、様々な要素を混在させた教科である。用字・発音・文法・語彙を基盤とする基本的な「話す・聞く・書く・読む」活動を技術的に達成すること。かたや前述したような文学教材に向き合い想像力を基盤とし知性・感性の成熟を育むこと。大きく技術と情操に関する分野を混在させていることで、教師も「めあて」が曖昧になってしまうことも少なくない。音読するにしても、意味を考えるにしても、想像に委ねるにしても、同一の言語観でしか向き合わないことに、大きな問題があるようにも思う。よって文学教材で「意味」を技術的に考えることと、想像力に遊ぶ学習活動が重なることから曖昧な「描写」や「心情」の扱いになってしまう。短歌が「説明的」というのは、明らかに「伝達言語」で三十一文字が構成されているからであろう。だが「伝達言語」のように見えて「詩的言語」である短歌などには、底知れぬ魅力を感じてしまうことには、このような事情が関係しているようにも思われる。
叙述・描写・心情はどこにあるか?
まずは教師が文学を読む姿勢があるか
変わることができない「国語」を新たにするのは「詩的言語」ではないか。
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