演じられる文学のちから
2019-06-19
「理解しなければ演じられない」否、「演じて理解が進む」ことも多い
文学を演じて学ぶということ
県研修センターとの共催である教員研修を担当した。小学校教員を対象とする研修で、今年で3年目となる。午前中は「教育方法」を専門とする先生が「発問」に関するワークショップを行い、小学校定番教材の解釈を深める時間となった。「物語」を学び合う〈教室〉を創るということは、「やさしくてできる」子どもを増やすことであり、子どもの間で教え合う環境にすること。「物語」の教師によって決められたテーマを”当てる”のではなく、他者との違いに気づき自らの考え方の傾向を知ることが肝要だという説には賛同できる。本当に「できる」ということは、他者にも的確に比喩を用いて「伝えられる」ことである。他者に伝わらない学びで止まるのは、真の理解が為されていないのに等しいというわけである。具体的な場面・状況を想像できる文学教材こそが、思考を活性化し深い学びに通ずるのである。何も「説明文」教材だけが論理的思考に導く訳ではない。
午後からが僕の担当となり、まず詩歌を使った声のウォーミングアップ。谷川俊太郎「かっぱ」で口先を滑らかにほどき、「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」をイメージで動作しながら声にしてみる。その後は俵万智さんの「『寒いね』と話しかければ・・・」の短歌を声で伝え、グループで前後の場面や会話を創作して表現するワークへ。様々な解釈が具体的な寸劇となり、この短歌の普遍的な「あたたかさ」が可視化されてくる。この日は、県内の演劇に関係する方々に参加いただいていた。ここで課題とした宮沢賢治「注文の多い料理店」の群読を昼休みから即興で創っていただいたのを披露する。「他者の発した声を引き取ってこそ自らの声が出せる」という役者さんたちの弁には、学校の音読・朗読を「生きた声」にする秘訣が隠されている。その後は、約1時間で班別に群読劇を創作し全体で2幕の発表へ。最後に振り返りをすることで、教材解釈にも大きく貢献できる機会となった。
演じて場面が想像し描けるか
表情も豊かにすれば場面に即した声が出せる
となれば、演劇と短歌の相性も高いことを再認識できる。
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