始動「ひびきしらべ歌会」プレ回
2019-06-15
「今朝くむ水は、福くむ水くむ 宝くむ 命ながくの 水をくみたり」(若水くみの歌)
近現代の生活で我々が喪失してしまったもの
我々という現代生活者が、長い歴史の中で当然と思っていることが意外や近現代150年ほどの人工的造物であることを意識することは少ない。小欄をいまお読みのあなたは、あくまで「文字」としてこの内容を捉え意味を脳裏に想起させているだろう。僕自身の文章作成意識を考えてみても、キーボードという装置でローマ字の「音」をもとに伝えるための「文字」を刻みつつある。だがふと前述のような視点に立つと、読者である「あなた」に個別に語り掛けているという意識が起動する。幼い頃に祖母や母などに昔話を聞くように、「声」による内容理解をしていたのはそれほど昔の話ではなく、たかが二、三世代前の生活上の必然でもあった。身体化された「話」を伝える訳ではないが、今でも「読み語り」が育児に効果的だというのは、この言語的伝承・交流と無関係ではあるまい。
「ひびき・しらべ・オノマトペ・韻律」などに特化した歌を批評し合う歌会の準備的な回を、本年「NHK短歌」(Eテレ)の講師も務める歌人の佐佐木頼綱さんとともに催した。会の開催趣旨として最初に20分ほどの話をさせてもらった。牧水の短歌は朗誦性が高く、身体的な歩くリズムを短歌の韻律に載せることのできた最後の世代の歌人であること。おおよそ三、四世代ほど前までは「音読」により文章を享受するのが一般的であったこと。おおよそその転換期が明治30年代から40年代であり、大正や昭和の初めまでは冒頭に記したような伝承歌が、日常生活に定着していたこと、などを話した。その後、7首ほどの「音」に特化した詠草による歌会を実施。プレ回として貴重な問題意識を得ることができた。
得られた問題意識はまたあらためて提示していく
「音」をはじめとする身体性を失った現代人
東京の地下鉄のエレベーターでは、「開」ボタンを押して待っても反応すらない世の中である。
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