「恋と永遠」ー「海幸彦山幸彦の代」を思ひつつ
2019-06-12
「海幸彦山幸彦の代は知らず空青くして青を撒かざる」(伊藤一彦『微笑の空』より)
江ノ島から青島へ
「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」の講義も折り返し点を過ぎた。講義冒頭のタイトルスクリーンに、先月撮影した「青島」の写真を入れておいた。「これは何処だがわかりますか?」と問いを発すると、「江ノ島では」と応える声が聞こえた。講義内容でサザンオールスターズの楽曲を題材にしていることもあり、岸から海上に張り出した島の光景に「湘南」を観るのであろう。人の「感覚」というのは誠にそのような作用をするもので、学習習慣というのはある意味で逞しくもあり怖ろしくもある。「江ノ島」と比較すれば派手さはないが、「青島」も負けず劣らずの名勝であると個人的には思っている。何より神話の「海幸彦山幸彦」の舞台であり、檳榔樹の群生する特異な島影は底知れぬ力を感得できる。極論をすれば、僕はこの「青島」に導かれてこの宮崎の地にやって来たのかもしれないとさえ思う。
冒頭の伊藤一彦先生の歌は、「海幸彦山幸彦の代は知らず」と神話の時代へ思いを馳せる上句の表現である。「知らず」と否定的に言い放つことで、むしろ「神話時代」を幻想の中に想像させる上で効果的である。人間の想像力が創り出して来た、豊かな「ことばの力」への畏敬が「神話」という具体的な物語となり我々の心を動かす。この「山幸彦」を祀っているのが青島神社で、海神の娘である「豊玉毘賣」と結婚するという物語が『古事記』に記される。よってこの夫妻を祭神とすることから、「青島」は縁結びのご利益があると云われる。青島の空を眺めていると、青さの中に必然的にこの神話が思い浮かぶ。あくまでその空は穏やかで、「青」を強制することもなく柔和に我々の眼前に毅然として存在する。その芯の強さこそが「青島」の空の魅力であり、素朴な自然の表情なのである。「恋(人事)」と「自然」を常に対照として比喩のごとく詠ってきたやまとうたの歴史。「恋」の核心もまた「青を撒かざる」ような穏やかさが求められるのかもしれない。「恋」を怖れて踏み込めない若者が多いというご時世、宮崎には青島とその青い空があるのだ。
この地でこその講義にするために
力を貰うには文学を学ばねばなるまい
「恋」というかけがえのないテーマにおいて。
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