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しづかなる潮騒に空を見上げて

2019-06-09
「世に別れ去りたる人よ 目に見ゆる近き他界として空はあり」
(伊藤一彦『微笑の空』より)
「生きるということ いま生きているということ」

週末に何か美味しいものが食べたいと思い、近所の親友に電話した。地元の店に行く予定だと聞き、流れに任せて妻とともに同行することとなった。梅雨の晴れ間、薄暮の頃になれば青島の地にも人が少なくなり、馴染みの海鮮料理の名店が煌々と明かりを放っている。今朝入荷した新鮮な刺身や軟骨の煮物などに、しばし舌鼓を打つ時が続く。この地に根を深く下ろしている親友は、来店する人々の知人も多く、声を掛けられることもしばしばである。その土地で生きるということは、即ち人と繋がるということ。このお店そのものが、僕にとっては宮崎の地への入口のごとき開口部でもあった。親友ご夫妻といて、我が妻といる。そんな今を噛み締めながら、地元産ワインと海鮮料理が身体を潤してくれる。その流れに任せて、青島の夜はさらに深くまで続いていた。

親友との話で気になったのは、東京在住時からの仲の良い同世代の人が熊本でこの世を逝ったのだと云う。僕自身としても2月に大変親しい大学の先輩を亡くし、言葉にできないほどのショックを受けた体験と重なった。最近はSNSが情報の最先端である場合も多く、短歌関係の方の訃報にも、どうしていいかわからない思いを抱いていたところであった。同世代や若い人の死は、殊に尋常でない気持ちの動揺をもたらす。親友も仕事が忙しい中を、何をさておき車で熊本まで駆けつけたのだと云う。冒頭の伊藤一彦先生の歌、「世に別れ去りたる人よ」という呼び掛けのあとの一字空けが、まさに親しい人々の他界への空虚感を深く表現している。去りたる親しき人は、いま何処にいるのだろう?僕たちは一日に何度か、空を見上げる。いまこの文章を書いている書斎の窓からも大空が見える。それを「目に見ゆる近き他界」と見なす、亡き人への思いやりと鎮魂と。伊藤先生の歌に教えられてまた、青島の夜空を見上げるのであった。

みんなが見えているのだが、
その人にしか見えないものを見えるようにする短歌
青島の空からの夜風が、僕たちは生きていると囁いてくれていた。


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