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「人の変」和するとは何か

2019-06-07
「天の変地の変よりも人の変思ふこと多し吾も人なれど」
(伊藤一彦『微笑の空』より)
宮崎大学短歌会例会題詠「和」

今週はゼミ4年生の教育実習における研究授業が、毎日のように実施されている。ほぼ午前中は公立学校へと赴き、午後は大学へ帰って講義という日々が続く。4年生の実習は「応用」と位置付けられ、附属学校実習で学んだことを多様な現場で発揮する力が求めらる。昨今は特に小学校教員採用数が増え、「即戦力」として現場教員として就職できるような人材が要請されている。また教員採用試験二次試験対策としての現場経験を積む機会として貴重である。そんな実習でのゼミ生の対応で一番注意して観察するのは、児童生徒らへの「対話力」である。「教室」にいる子どもたちを「集団」ではなく、「個々」の存在として対応できているかどうか。そんな際に思うのが、「和の心」である。「和」とは決して迎合すればいいわけではないことを、あらためて考えさせられる。

午後には学部・大学院と2コマの講義を終えて、夕刻よりは宮崎大学短歌会例会。どの曜日が一番人が集まるかを試験的に実施して、ほぼ曜日が措定できるようになってきた。今回の題詠は前回の「令」に引き続き「和」である。出詠歌には、「中和」「飽和」などの漢語が多く並んだ印象があった。理系学部の学生も多く、実験などで日常的に使用する用語であるらしい。僕自身は、高校の化学で学んだはずであるが、なかなか「理系用語」が比喩になっている歌を読み解くのが容易ではない。むしろ比喩された人的な描写の内容から、専門用語の内容を遡って読むことができるという発見があった。理系用語であっても比喩された描写内容は、もちろん「人」に関するものがほとんどであった。冒頭の伊藤一彦先生の歌は、やはり天地自然の「変」よりも「人の変思ふこと多し」と詠う。結句には「吾も人なれど」とあり、人が人と「和」することを求めて生きていることを考えさせられる。「人の変」に驚くのは、「和」こそ人の求めるべき心と思うからではないだろうか。

「親和」「唱和」「調和」
「人の変」に気づき「和」することができる心
「令」と「和」とそれぞれも文字の奥行きを歌で抉り出す。


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