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「しずかな狩」恋を求めるこころして

2019-06-05
「幹に蜜ぬりつけかぶと虫を待つしずかな狩を今もしている」
(冨樫由美子・『しびれる短歌』ちくまプリマー新書 2019 所引)
恋するこころこそ生きること

担当講義「日本の恋歌ー和歌・短歌と歌謡曲」も、ほぼ前期の折り返し点に到った。サザンオールスターズのデビュー曲、昨年の紅白で最後の楽曲となった「勝手にシンドバッド」を始め、70年代・80年代の歌謡曲などに表れた「恋」の様相と、古典和歌から近現代短歌に至るまでの「恋歌」に詠まれたこころを比較し、自らの思考・想像を深め評論する文章を書く力をつけていく学士力発展科目である。昨今の若者は、「恋」を辛いゆえに煩わしいと避ける傾向がメディアなどで報告されて久しい。その延長上で、50歳時の独身率の上昇に見られるように生涯独身が進む社会が垣間見える。短歌の世界でも、対面で歌に対する意見が交わされる「リアル歌会」を苦手とし、スマホなどWebを介したやり取りで重要なことまで対応しようとする傾向も否めない。だが自らの経験からしても若い時の「恋」は、自らを育てる”肥やし”になるのは明らかだ。僕の出身大学では、「恋」と「酒」の”課外単位”を取得してない者は卒業して社会に出られない、などとこの二つに踏み出さない者は揶揄されたものだ。

「恋」も社会の変化に応じて、根本的な「こころ」は変わらないまでも時代の流行に対応しているのだろう。バブル期の豪奢にブランド化した恋、サザンの「ミス・ブランニュー・デイ」などは、当時の流行であるテクノサウンドに乗って、「みな同じそぶり」「誰かと同じ身なり」の女性を皮肉を込めて描いた秀作だ。当時から「教えられたままのしぐさに酔ってる」とあるように、「恋」がマニュアル化し雑誌などを中心に手ほどきが紹介され、流行のファッションの一部のような「恋」が若者のこころを掴んだ。その「背伸び」感に酔いながらも、やがて現実では「思い通りにいかない」ことを悟り、人と向き合って生きることの大切さを身に沁みて感じたのだった。冒頭の短歌は、近刊の『しびれる短歌』(東直子・穂村弘)に引用されたものだが、上句の「幹に蜜ぬりつけかぶと虫を待つ」という比喩は、その韻律と相まって鮮烈に「恋」を求めるこころを描く。自然においても誘惑と争奪の摂理の中で、生き物は「種の保存」に身を曝しているのだ。かけがえのない「いま」に、かけがえのない「恋」に身を曝す。「しずかな狩」という下句の”ギアチェンジ”と「今もしている」という「恋の現役進行形」を宣言するあたりが、現代の若者にも響くことを願い、講義の教材として紹介した次第である。

人と向き合える社会
教育の責任はいかに
学士力発展の要素に「恋」が本気で必要な気にさせられる昨今である。


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