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「花がささやく」ジャカランダ祭り南郷

2019-06-03
「即身かつ即心に生きよ散るまへの花がささやくきらきらとして」
(伊藤一彦『微笑の空』より)
雨のうち日本唯一のジャカランダ群生林

入梅直後の雨ではあったが、日南は南郷で日本で唯一のジャカランダ群生林が綺麗だと聞き家族で出向いてみた。降雨時の日南海岸ロードパークは、午前中の干潮時ということもあり所謂「鬼の洗濯板」が露出する沿岸を楽しみながらのドライブ。波は穏やかで特に日南の油津港を過ぎて猪鼻崎公園から観た大堂津港や目井津港と大島を始めとする点在する名もなき島々の眺めには、身を任せて心のままにこの世を感じるような穏やかな美しさがあった。眺めにも負けず劣らない新鮮な海幸山幸満載の創作料理を、妻のご両親のご招待でいだきながらしばし現実を忘れるような時間に浸った。その後「道の駅なんごう」へ、周辺の農林試験場の峠道を車で周遊しいよいよジャカランダ群生林を観ることに。予想をしていたほどに一面に咲いているわけではなかったが、「紫雲木」と日本名にあるように気品たかき紫色が雲のごとく、その高木の先で雨にも負けずに咲いていた。

冒頭の伊藤一彦先生の一首は、当該歌集の「花」の連作から。「花」と言えば平安朝和歌以来、たいていは「桜」ということになっている。ブームともなっている『万葉集』ではむしろ、「令和」の典拠ともなった序文の宴のように「梅」の花を愛でる歌の方が数として多い。奈良時代当時、大陸から「梅」が渡来し、その先進さや稀少さによって歌の素材として盛んに取り上げられたからのようだ。今回観た「ジャカランダ」も、1964年(昭和39年)前回の東京五輪の年に、南米原産の花として日本にもたらされたものであるらしい。今年は個人的に「桜」のみならず、多くの花々を鑑賞している。花に心を寄せると、自ずと穏やかな気持ちで日々が送れるのが不思議だ。「即身」「即心」は音が同じでともに仏語。「なま身の体。この身このまま。」(『日本国語大辞典第二版』)と「迷いの心そのまま」(同)と辞書にある。「即身成仏」の語は「即心成仏」でも同等の意味であるらしく、「心身」は切り離しようもない人間の摂理を感じさせる。花も人々は満開のみを求めがちであるが、「即身かつ即心に生きよ」の上二句を「散る前の花がささやく」と花の立場に同化して捉えると、「なま身」で「迷い多き心」のままにあることこそ「生きる」そのものなのかもしれないと、「悟り」の境地さえも考えさせられるのである。

想像する花 現実の花
雨であっても「即身かつ即心に」
花暦が明らかに生きることを豊かにしてくれている。


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