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「ヤモリの子ども」短歌の素材と語形ー第336回心の花宮崎歌会

2019-06-02
「空きペットボトルの溜まってゆく部屋で干からびてゆくヤモリの子ども」
(佐佐木定綱「魚は机を濡らす」第62回角川短歌賞受賞作品から)
定綱さんの素材発掘と語形と

一日より心の花宮崎歌会という六月のスタート、今月は恒例のゲストをお迎えしての歌会。東京より佐佐木定綱さんが宮崎に来てくださった。定綱さんとは以前から全国大会などで話していたが、特に数年前に「日本ほろ酔い学会伊丹大会」が開催された折に、佐佐木幸綱先生とともに父子でいらしていて、伊藤一彦先生と僕の四人で深夜まで地元の銘酒・老松と白雪を楽しんだことが、心に刻まれた思い出である。さて歌会の冒頭は、定綱さんの講話。「現代短歌の語形」と題した内容で、「口語と文語」「地域の言葉」「物語の文体」の三項目で、現代短歌が孕む「語形」の問題を具体例を示しながら提起してくれた。寺山修司をはじめ俵万智さん・永田紅さんなどの文語と口語が一首の中に混在している短歌について的確な批評。曰く「口語(と文語)を混ぜて、歌の質感を調整していく。」ということ。また「口語の進化が方言」という発想で「自分に即した言葉で伝えきる」ことの大切さ、「方言でないと表現できないもの」を本田一弘さんの歌を例に述べられた。また「物語の文体」では、「ですます調で第三者的」な表現や「公共の言葉」を使いながら、作者と作品の距離感がある作品などが紹介された。

佐佐木幸綱先生の作品を手本として、俵万智さんによって市民権を得た「文語と口語」の混在した短歌語形については、個人的な作歌の上でも常に考えるべき問題であると思う。古典研究者として「文語」のもつ繊細・的確ながら圧縮された表現の有効性を堅持したい欲求とともに、どこかで「口語」を駆使できないかという欲求が脳裏を駆け巡る。この日の歌会でも随所で伊藤先生から指摘があったが、「文語・口語」双方で創れる言葉の使い手を目指すべきとの着地点を意識すべきであろう。歌会では、「素材」を光景から拾うのと「心(言いたいこと)」では、どちらから作歌されたのかという点も多く議論された。双方が一首の中で上手く融合していることが大切なのは言うまでもないが、一首の調和を理解するには双方の表現に不足がなく相互に「手掛かり」となる(呼応する)ことを目指すべきという学びが大きかった。「わかり過ぎず」されど「限定的・確定的」な像へと読み手を誘う表現が求められると云うことである。懇親会では、冒頭に示した角川短歌賞を受賞した定綱さんの作品から11首が選ばれ、宮崎大学短歌会の卒業生1名(教員)と2名の学生チームが「だれやみインタビュー」と題して奥深い質問が為された。動物好きで、食べ物を「入れるもの」とすると「出すもの」も好きな定綱さんの素材への嗜好とともに、光の当たらない物に言葉で光を当てるという短歌人としての心の広さを感じる座興となり、宮崎の夜は二次会まで続いた。

賞に応募し続ける意志
食べ物へこだわる生命感
学生たちと中間世代の定綱さんが、宮崎歌会にさらなる力をもたらした。


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