「弱いか人は」梅雨入りと自然体で生きること
2019-06-01
「まつすぐに笑はず怒らず降つてくる春の雨より弱いか人は」(伊藤一彦『微笑の空』より)
自然体が何よりも強い・・・
南九州の梅雨入りが発表され、またしばらく雨に意識がいく時を過ごすことになる。仕方ないとは思いつつ、せめて梅雨の晴れ間も時折見せる気まぐれさを恋しく思う。誠実に梅雨だからと毎日のように降り続くと、人は湿度の高さで身体的にも精神的にも疲弊するように思う。雨にも休日が大切だと、数年前の長雨の経験から強く思いを致す。などと足掻きながら、人は自然を制御できない宿命にある。その「できない」を無理やり制御しようとする理不尽な近代150年が、僕らの前に横たわっている。いつしか心身ともに「自然体」を忘れ、人造物に躍起になり作為と制御の全能感に支配された人々が社会に溢れ返る。血圧が高ければ薬で抑え込み、膝腰が痛ければ対処療法でその場を凌ごうとする。スマホを使えば我が手に「世界」があるというような勘違いが、実は人の弱さの反転たる思い込みであることに気づいていない。
宮崎に住むようになって、雨の表情を窺うようになった。季節ごとに表情や性格が、明らかに違う。冒頭の伊藤一彦先生の歌でも、「春の雨」が自然体で穏やかに降ることを、「笑はず怒らず」という具体的な表情をむしろ描写することで表現し得た一首であろう。「春雨」は糸のごとくと古来から云われてきたが、しとしとと静かに降る。感情を取り乱さず「まつすぐ」に筋を通すことこそが、真の強さであるだろう。現代において「笑ふ怒る」が社会全体に蔓延し、その風潮が予想もし難い理不尽に連鎖していることを憂える。バラエティーなるテレビ番組は、出演者の度が過ぎた「笑ひ」を字幕スーパー付きで垂れ流す。飲食店でも公共のお役所でも、ましてや学校でも「怒り」を相手にぶつけさえすれば全てが解決すると躍起になる人々。静かで穏やかな自然体こそが、最終的には自らの身を安定させることに気づいていない。春雨の穏やかで自然な潔さに、我々は学ぶべきことが多い。「人」は誠に「弱い」のである。
梅雨たる自然に怒ることなかれ
社会に煽られないためには宮崎に住むがよい
公共温泉で出会う人々の「まつすぐ」な人情に心潤う。
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