「まつさらの一日一日を」時に気づかぬ力みも
2019-05-26
「まつさらの一日一日を生きてゐる鳥の尾づかい時に激しも」(伊藤一彦『微笑の空』より)
意識せぬ力みにご用心
全国的に五月としては、記録的な暑さに見舞われた。10連休以後、初めてのゆっくりした休日であったため、当初はそれほど難儀ではないと思っていた。午後になって所用もあって、青島方面に出向いた。リゾートホテルでの用件を終え、親友の経営するマンゴー専門店へと足を伸ばした。奇しくも5月25日は「マンゴーの日」であるらしく、多くの観光客が店先から絶えることなく繁盛していた。こうしてしばらく外を歩き回ったせいか、帰宅して相撲中継を横目に疲れが一気に噴出したようになってしまった。もしや軽い熱中症ではと思うような具合で、夕食に栄養価の高い食事を摂ってようやく回復した。地球温暖化に僕らの身体は、そう簡単に慣れる訳ではなさそうである。
朝は鳥の啼き声で目覚める生活を送っているが、窓からその姿を見るのも楽しい。向かいの家の低木に止まる番いの二羽はお馴染みとなり、時に小欄を書いていると軒先に足音をさせる雀たちもいる。爽快に滑空してきて樹木の枝に止まるには、かなりの技術と修練が必要ではないかと思うことがある。両翼を広げて速度を落とし「尾づかい」を巧みに操り、身体の角度を微妙に調整して最適な一瞬に枝を足で掴む。その「着枝」を達成した瞬間を見るのが、とても好きである。冒頭の伊藤一彦先生の歌では、「鳥の尾づかい」の語が特に心に響く。「づかい」は「筆使い」等で使用されるように、人間の比較的高度で微細な「技術」を表現する語彙であろう。「・・・の使い手」と言えば、巧みに道具なり身体技なりを駆使できる者のことだ。鳥は、ただ呑気に大空を飛んでいるように見えるが、先述した枝に止まるだけの動作でもかなりの負担が身体にかかっているのではないか。我々人間も「まつさらの一日一日を生きてゐる」のだが、知らぬ間に負荷がかかっていることもある。鳥の姿を見て「我がふり直せ」、と言うことかもしれない。
自然に生きることの尊大で微細なちから
ただ今日を生きるために不可欠なちから
「時に激しも」に表れた生命の尊大な力
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