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表現者の表現の場に立つ

2019-05-20
楽曲に向き合う狂騒的身体性
曲の調べと歌詞と楽器と声と
あらゆることを吸い込むライブ空間

「伝える」ことは決して「説明」ではないと、最近はつくづく実感している。「教える」ことも
総じて「伝える」ことの一環であるとすれば、なおさら「説明」は説得力を持たないという逆説に気づく。「国語」の授業の場合の多くは特に、「説明」されると学習者の毛嫌いの大きな要因となる。「説明」ならまだしも、「説得」的な押し付けになってしまう場合も少なくなく、そこに「国語」がつまらない原因の多くが存在することに自覚的になるべきだろう。実習生の授業などを参観すると、短歌教材でも写真や図版などを使用して「理解させよう」と努めている。だがその「写真」の選択そのものが、実習生の恣意的な一解釈であり、それを学習者に暴力的に浴びせているに過ぎないのではないかと思う。

サザンオールスターズの6大ドーム全国ツアー福岡公演を観た。最近は特にサザンの楽曲を歌詞を中心に詩歌との関連性を考えているだけに、執拗にどうしても体験すべき場であった。音源とライブではどちらが入り込めるか?という話題を妻としていたが、僕自身はいつも圧倒的に「ライブ」支持派である。音源が一つの「基準」とするならば、「ライブ」はあくまで表現者の表現の場であると強く思う。4万人前後という掴みどころのない入場者数を塊ではなく、一人一人の「こころ」と捉えて、自分たちの音楽を伝えようとする意志を強く感じることができる。40年間という長きに渡り日本の音楽界を席巻してきたサザンの、デビュー当時から変わらぬライブへの姿勢であるように思う。「伝えたい」ことを、曲と歌詞に乗せて「歌うことしかない人生」と謙遜しつつ主張するそのライブは、何度も「抒情の矢」で自らの胸を射抜かれるような体験の場なのである。

大胆かつ精巧に積み上げられてきた楽曲
なぜ「ライブ」があるかの意味を考えさせてくれる
「体験」でしか人は本気で「わかった」とは言えない。


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