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「重からぬ月の光を吸ひながら」宮崎のよさを探る

2019-05-18
「重からぬ月の光を吸ひながら妻とあゆめり畑の中を」
(伊藤一彦『新月の蜜』より)
ゼミで「宮崎のよさ」を対話する

教員採用試験願書提出も締切日を迎えた。「宮崎の教員を志望する理由」についてゼミ生たちと対話し、出身者も僕を含めたそうでない者との差にも自覚的になった。どの都道府県でも誰しもがそうであると思うが、出身地の利点というのに気づかぬままに過ごしてしまっていることが多い。恩恵は恩恵として具体的に意識する機会がないと、気づかないことを考えさせられる。そこで昨日のゼミでは、「宮崎のよさ」「自分の強み」「自分の弱み」の三点を小グループで対話する時間を持った。「宮崎のよさ」ではやはり「自然」という点に集約されるが、そこを原点とする人々の穏やかさや食料の新鮮さ、そして「よい子が育つ」という教育面にも言及されて、さすがは教育学部の学生であると思った。宮崎県の豊かさをさらに開拓するのは、経済的な発想ではない。人文や教育こそが、この県の穏やかさに根付くのである。

近所の公共温泉に出向く際に、田圃の真ん中を通過する。先月ごろからそこに番いの「山羊」が放牧されている。車のライトに反応して通過すると挨拶をするかのように、頭を下げたことがあった。その後、なぜそこに放牧されているのか大変に気になって車を停車させて妻と観察したりもしてみた。角を冠する雄は、ややどぎつい顔立ちで鎮座している。雌は穏やかに草を食んでいることが多い。まさに自然の中で生活するその山羊たちの姿に、どこか安心と安堵を覚えるのだ。今朝のように雨が激しく降れば、小さな小屋で二頭が寄り添っているのかと思いを致す。冒頭の伊藤一彦先生の歌は「畑の中を」「妻とあゆめり」という夫婦仲睦まじい姿が映像として脳裏に鮮明に再現される。何より「吸ひながら」という表現が秀逸で、「重からぬ月の光を」というからには、天から穏やかな恵みを受けてあゆむ夫婦の落ち着いた穏やかさが読める。「宮崎の自然がよい」とは簡単に言えるが、そこでどんな恩恵を具体的に受けて生きているかは、短歌でないと語れないと言っても過言ではないことを考えさせられる。

学生とともに考える宮崎
他県出身者も宮崎の教員になる志が
自然の中に生きる我らを思って・・・


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