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「待つこころなりいかなる明日も」美味き宵の口

2019-05-17
「味酒の身はふかぶかと酔ひゆきて待つこころなりいかなる明日も」
(伊藤一彦『新月の蜜』より)
明日への架け橋たる時間

今この時間、早朝の快適さを左右するのは「宵の口」の過ごし方ではないかと思う。あれこれ迷いがあったり、後悔や不安を抱えていると寝つきも悪く心身ともによく休まらない。有効に活かそうと読書に勤しもうとすれば、電灯を点けっ放しにし熟睡もできず深夜に気づくように、むしろ無駄に過ごしてしまうこともある。いずれも朝の気分は快適ではないが、様々な話題を家族と話せたり、潔く電灯を消して寝付くと快適な暁が迎えられる。もとより「宵の口」とは、「日が暮れて間もないころ。日暮れから夜中までの間。」(『日本国語大辞典第二版』)の意であり、「古代では、夜を、よい、よなか、あかときに三区分した。」ことを知るべきである。気象庁は嘗て「宵」の語を使用していたが、その時間帯範囲を勘違いする人が多いことから使用しなくなったと聞く。継承すべき日本語であるゆえ、気象庁こそがその定義を啓発し社会に根付かせて欲しかった。

「晩酌」という語彙があるように、「宵の口」につきものであるのが「酒」であろう。「昼間の酒は効く」という俗信もよく耳にするが、やはり酒は「日暮れの後」が適した時間帯なのだろう。牧水の「かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏の夕暮れ」は、「(なかなか日が落ちない)夏の宵の口」を待望する大の酒好き牧水の心境が直接に詠われた名歌である。立夏(5月6日)も過ぎ、もはやそんな宵の口の季節になった。牧水研究の第一人者である伊藤一彦先生の冒頭に掲げた歌もまた、「宵」の「味酒(うまさけ)」の効き目を素朴に表現した歌である。「身はふかぶかと酔ひゆきて」の表現によって、「味酒」の響きががより一層増幅するように味わえる。音といえば「宵」は「酔ひ」にも通じ、酒によって自他と語り合うべき時間と思わせる。「今日」をいかに生きたのか?そして「いかなる明日」をも、泰然と「待つこころ」が持てる懐の深い人間味が感じられる一首である。

愛すべき家族との大切な語らいの時間
生きるための豊かさがそこにある
学生からお祝いにいただいた「味酒」を一献。


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