「薄紅のあけぼのつつじ」恋と花と五月晴れ
2019-05-14
「あふぎみる高きに恋の緒のごとき薄紅のあけぼのつつじ」(伊藤一彦『日の鬼の棲む』より)
恋の緒(いとぐち)から五月晴れに咲き誇る花よ
花のある人生、ただそこにある花を「美しい」と思える感性こそ人間としての豊かさだろう。野に咲く花でも、また購入した花でも、その生命と生き様から多くの栄養を貰う可能性がある。美しいものに素直に心を委ねられる、そんな人生こそ素敵かと思う。だが、ともすると人は日々の生活に追われ自らの殻の中に閉じ籠り、偏屈なこだわりの中に「美しさ」を愛する気持ちを忘れてしまう。花を愛でるのみならず、身近な人々の愛しき行為に思いを致すことができず、荒漠なる精神が様々な事例を引き起こす世の中である。どのような場合でも、向き合う人に慈しみと優しさと愛情をもって生きてこそ、健全な社会が築かれるはずである。
視野の広さもまた重要である。自分の「今」の視野だけでは、なかなか「豊かな」生き方とはならない場合が多い。足元を見つめ直すことや、左右を広角に見つめることも必要だろう。冒頭に掲げた伊藤一彦先生の歌では、ふと「あふぎみる高きに」へ視点を移動させる。頭上というのは見えていそうでなかなか見えていない、気高いとも思える空間である。そこに咲いている「あけぼのつつじ」を「恋の緒のごとき」と捉え、「薄紅」という色と相まって素朴な花に「あけぼの」の胎動を見る。人生でも「恋の緒」は様々であろうが、それが「あふぎみる高き」にあったことを、いつまでも忘れないでいたい。
五月晴れに穏やかな気持ちで
あらためて「恋の緒」を想起しつつ
今日もまた『伊勢物語』を講じている。
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