東京が捨て続ける「地方」に立つ
2019-05-11
「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」(伊藤一彦『森羅の光』より)
個々の心ににある捨てがたき「東京の地方」
若山牧水も石川啄木も、それぞれ宮崎と盛岡の出身で「文学」を志して東京へと旅立った。二人が二人とも、その東京で様々な苦闘の末、近代短歌に大きな足跡を遺す存在となった。牧水は東京からさらに沼津に移住し、富士山が眺められる自然の豊富な地で終焉を迎える。啄木は大東京で牧水に看取られ、その生涯を終える。彼らの「東京」での苦闘とは、僕など東京出身者には想像もできないほどのものであっただろう。だが、僕も幼少の頃から東京でも「地方」とも思える田端という地に生まれ育ち、実家の近所には信州出身の歌人・太田水穂の家があったことを小学生の頃に知った。同じ街には萩原朔太郎や菊池寛なども住んでいた。彼らが地方出身者としてなぜ「田端」という街を選んで住んだのかが、最近は少しわかるようになってきた気がする。
現在でもそうだが、僕は「東京の中の地方」が好きなんだと思う。昨夜は僕自身の私事のお祝いにあたり多くの常連仲間たちが、懇意にするワインバーに集まってくれた。大学専任を目指していた僕が苦闘していた頃、そのカウンターで店主を始めいつも励ましてくれた大切な仲間たちだ。中に地方の未来のあり方を深く取材している方がいて、江戸っ子である僕が地方に行って6年で見つけた人生の方向に深く興味をお持ちのようであった。思うに「地方」とは、大変深い魅力に満ち溢れたところで、「東京」に比してむしろ価値の高いところと考えるべきというのが僕の6年間の実感だ。それゆえ「大東京」に生まれ育った頃から、人々の生身の声と触れ合える「地方」を選りすぐって生きていたのだと今にして思う。ゆえにこのようなワインバーが、「大東京の泉」のように大切な空間と思っている人たちが、僕のかけがえのない仲間なのだと昨夜はあらためて心の奥底から感じ入ったのだった。
牧水や啄木と反転して地方に生きる
場所を問わず心を寄せてくれる人々が好きだ
宮崎でこそできる生き方・仕事を僕は見定めようとしている。
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