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宮崎にいるからこそー第335回「心の花」宮崎歌会

2019-05-05
「一生に一度の遊行花びらはわづかの間をかがやき舞ひぬ」
(伊藤一彦『土と人と星と』)
「宮崎は自然しかないのではない、自然こそあるのだ。」

宮崎日日新聞コラム欄「くろしお」に、県外からの来訪者に対し宮崎では「自然しかありません。」と「謙遜と自嘲交じりの言い方」が為される傾向があることを取り上げられた。それに対して伊藤一彦先生が、冒頭3行目に示したように「自負をもって」対応すべきと随筆集『青の国から』に書いていることが紹介されている。さらに歌集『海号の歌』で「読売文学賞』を受賞した際にも、「田舎の宮崎にいてよく受賞できたね」と云う祝辞に対して、「宮崎にいたからこそだ」と胸を張って応じたことが讃えられている。実はちょうど1週間前に、僕が大変重要な要件で伊藤先生宅を訪れた際に、これに類する讃辞をまさに『海号の歌』を取り上げて申し述べた。宮崎での「生き方」という面での伊藤先生の評価と、己が感得しつつある「宮崎のよさ」への思いが同じ方向性にあることが客観的に知られる貴重な機会となった。

冒頭の一首は、「心の花」宮崎歌会で鑑賞担当の方が取り上げた伊藤先生の歌。「花びらがわづかの間(あはい)をかがやいて舞った」その刹那なる「花びら」の時間を「(一生に一度の)遊行」と捉えた繊細かつスケールの大きな歌。ひとひらの「花びら」にも「一生」があり「わづかの間」に舞い散るが、自然と親和的に生きる我々もまた常に「一度の遊行」をいつ迎えるかわからない。自然の時間や表情を常に人の生き様を重ねる牧水にも通底する自然観こそが、歌集名『土と人と星と』に表れているように伊藤先生の奥深い歌の境地である。さて以下、歌会で批評の要件の覚書。「経験の無い者の意見こそが重要」、その歌の素材に経験が無い人にでも伝わりイメージを抱ける描写こそを目指すべきとの指摘。それを受けてリアリティーある描写の難しさが話題となった。例えば「同じ高さ」と言った時に、どことどのように「同じ」なのかを想像できる表現であるか。塚本邦雄はともすると観念的な歌に見えるが、むしろ徹底的な描写でリアリティーある表現を読むべきとの伊藤先生の指摘には、あらためて眼を開かさせられた。

歌会や懇親会を通して私事へのお祝いも
宮崎歌会でこその学び
宮崎で生きてこその短歌へ歩みたい。


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