言語文化への感覚と想像力と
2019-04-26
梅は香る匂う?桜が散るのを喩えると?
菊の花としてのイメージは?
教職大学院オムニバス担当講義で、古典分野の教材・内容開発を主旨とするものがある。前半の担当回では教材としてまとまって扱われる「万葉・古今・新古今」についての学びを深めている。前回は新元号「令和」の典拠となった大伴旅人邸での梅花宴について扱い、なぜ漢文序がついているのか?その漢文の性質はどのようなものか?などの問題意識を喚起し、古代において漢籍との交流にこそ、文化形成の基盤があったことなどを学びとした。今回はその延長で「梅花」が歌に詠まれる傾向について、そして「万葉」から「古今」へといかに変遷するかを主旨とする対話を促した。「万葉集」では「梅」が詠まれた歌は約100首、「桜」が40首ほどの配分だが、平安朝になり「古今集」となるとその数は「桜」が圧倒する。「梅」に関してはほとんどが「匂う」香りを詠む歌となる。
「梅」は香るものか?という「感覚」そのものが、現代の若者にはあまりないように思えた。「桜」が喩えられるものは「雪」であるが、なかなか即座に思い浮かぶ見立てではないようだ。かろうじて遠山の金さんの江戸時代劇のことは、知っていたようだ。「菊」は皇室の御紋の印象が強く日本らしい花と思い込んでいるが、中国から渡来した外来の花である。「梅」は「白梅」と「紅梅」でどちらがすぐにイメージされるか?という問いも、受講者において差があって大変興味深かった。古典の場合、なかなか児童生徒らの「感覚」で理解させようとするのには無理がある。ましてや言語文化に表現された「景」を補助教材として「写真」などで提示したら、果たして理解の促進になるのだろうか?図らずも新元号典拠の反響で、「万葉集」ブームが巻き起こっている。教師であれば「梅」「桜」「菊」などの文化的属性を、適切に知り得ておいていただきたいと思う。
和歌の光景を想像する力
描写から読める花の属性
「日本特有」が「伝統的な言語文化」にあらず。
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