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「どうしていいかわからない」とき

2019-04-18
「思考力・判断力・表現力」とは云うのだが
極まった状況下でいかなる行動をするか?
当事者として最悪の事態に直面したら・・・

学習指導要領には現行も次期においても、「国語」の目標として「思考力・判断力・表現力」を育むとある。「言語(特に母国語)」が「思考」を司り他者との対話を成り立たせ、自己の存在を確認し客観的に省察する礎であることを考えれば自明な目標とも言えるであろう。自己の「思考」そのものは決して自己完結するものではなく、「表現」して他者の「異文化」と接してこそ、その立ち位置や傾向がわかるというもの。こういう意味で「国語」は、「自己」を知り「他者(人に限らず文学や芸術などを含めた)」を知り、その「対話」によって新たなる融合した「文化」に導く科目であるとも言える。ゆえに複眼的で鳥瞰と微細な視点を総合的に備えた「判断力」が、育まれることになるはずだ。言語の持つ「思考形成」という機能を、「活動」を踏まえて実際に動いてみることで初めて学びが起動することになうだろう。

一昨日も記した内田樹『常識的で何か問題でも?』(朝日新書2018)に、悲劇「セウォル号事件」で韓国の高校の教師たちが自分たちに責任を感じ、「上の者の指示に黙って従え。自分で判断するな。」という「ルールを刷り込んできた」ことを後悔しているという弁が紹介されていた。内田氏は「その結果、自分の身に危機が切迫したときでさえ、自己責任で生き延びるための道を探ることができない子どもを作り出してしまった」と省察する韓国の教師たちの生の声を紹介している。学校が「指示に黙って従え」を教え込む場であるのは日本も同じで、「船が沈没を回避できない」という「どうしていいかわからない」状況下で、自己判断力を日本の高校生が持ち得るかは何とも覚束ない気がする。危機的状況下で一番「役に立つ」のは、まさしく「(文学的)想像力」ではないか。詩歌も物語も小説も「虚構」の力で、あり得ない状況を追体験させてくれる。学習指導要領のいう「判断力」は「文学教材」を重視することでしか育まれないと、僕はこうした事例を聞くたびに思うのであるが。

小学校6年間で一番授業時数が多い
あらゆる教科の基礎基本となる「国語」
子どもたちに文学の森を自由に冒険させたい。


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