源氏見ざる歌詠みは
2019-04-12
「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」(『六百番歌合』判詞より)
『源氏』を読むためのモチベーションは何か?
「すごい」「楽しむ」「感動した」何かにつけて巷間でよく聞かれる語彙である。大学の講義レビューなどで浅いものは、大抵こうした述語で締め括られている。例えば「千年以上も前に源氏物語が書かれたのはすごいし、主人公の行動に感動するので、これからの講義を楽しみたい。」などと記されるわけである。さらに文章としての「・・・し」や「・・・ので」という繋ぎ方も如何なものかと思わざるを得ない。だが昨今の若者の文章を、結構如実に再現しているように思われる。物事の評価をする際に、「程度が高い」「心を躍らせる」「心が動く」と言っても「何がどのよう」であって自分がそのような心の作用に至っているのか、がスッポリ抜けてしまっている。よって当事者の考え方は硬く固まり付き、どんな時もそれを言えば事足りるという勘違いをしてしまう。学生のみならず社会の様々な局面で、事によると国会でもそのような事態であるのは憂えるばかりである。
新年度の講義第1週では、なぜ題材たる「文学」を学ぶのか?という「読むためのモチベーション」をいかに喚起するかが重要であると思う。この日は2年生の『源氏物語』と和歌を扱う講義の初日。まずは『源氏』についていま知り得ることを、すべて手元のレビュー用紙に書いてもらう。顔合わせを兼ねて、名簿順に一項目を発表していく。「作者は紫式部」などという浅く単純なことから始まるが、それに対して「果たしてそうなの?」と意図的に疑問の言葉を投げかける。どうもこうした際の基礎知識そのものが、前述したような定型化や硬直した傾向があるように思う。次第に物語の核心に迫る発表内容があると、いささかホッとする。親しい『源氏』研究者の島内景二氏が書かれているが、『源氏』からは現代社会に活かせる様々な学びがある。「一流とは何か?」「いかなる教育が文化的か?」「文学の存在価値とは何か?」まさに現代社会が失いかけているものを、『源氏』は我々に語りかけてくれる。学生たちにどうやらそれが伝わったように、講義レビューの内容からは判断できた。
「イチロー」「新元号(国書)」「文学を読む意味」
『源氏』は生きた物語であり高度な評論でもある
お決まりの固まった評語しか語れない教師では、子どもたちが成長するはずもない。
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