教科としての「国語」
2019-04-09
毎年のように教科決め新入生オリエンテーションに考える
「国語」とは何か?「国語」という名でよいのか?
教育学部の特に小学校教員を目指す学生にとって、入学後に決めることに「副専攻教科」がある。周知のように小学校では担任制が一般的であり、基本的に全ての教科の授業をする。だが現場を見ても「主とする教科」を先生方は持っていて、校内研などを通じて深めたり実践論文で研究成果を発表したりしている。昨今、「外国語」の教科化もあって高学年では特に「専科性」の適用などの動きも出てきている。先生も人なり、得手不得手は当然あって得意な教科の授業がよくなるのは自明のことだ。こうした状況の中にあって、「国語」という教科の存在はとても大きいと思われる。身贔屓ではなく、言語がすべての思考を司っているゆえである。事実、小学校6年間で一番授業数の多いのが「国語」で、特に基礎基本を学ぶ低学年に時間数が多く配当されている。
新入生が「専攻」を決める際に、いくつか気にかかることがある。一番大きいのは小中高と進むにつれて、「国語の授業」が好きでいられなくなる経験を持つ者が多いことだ。いま敢えて国語の「授業」と書いた、「国語」そのものの一要素である「文学」が好きでないわけではなく、「授業」が行われる方法によって嫌悪感が生じてしまうのではないだろうか。「段落わけ」「音読において人前での誤りの随所の指摘」「先生の正解がすべて(自分はこうだと思っても試験には先生の正解を書かねばならない強制)」などが「授業方法」が嫌悪を引き起こす具体例である。それでも最近は、学び手の「主体性」を活かす授業改善が進んでいるのも確かだ。だが、それも高校段階では未だ一斉講義式の授業が少なくない。「教科」の魅力は、基本的に「説明」はできないと僕は思う。教材を学んで楽しく不思議な切り口を、いかに具体的に語ることである。
「国語」を好きになる授業とは?
大学でもまた同じ、4年間で「国語が好きになる」専攻
文学に向き合ってこそ生きることができる。
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