漢籍受容と典拠性こその文化
2019-04-03
万葉集巻五梅花歌卅二首并序『文選』『蘭亭序』などの影響
受容し和することこその日本文化
新元号「令和」について様々な見方が喧しい。その狂騒曲の一端に小欄も加担するわけであるが、あまり取り上げられていない事を記しておきたい。「令和」の出典を政府発表では『万葉集』とし、首相の説明では「初めて国書から取った」とされた。何よりこの「初めて」というあたりに、様々な憶測を呼ぶ論点が潜んでいるように思う。これまでの元号はすべて、中国古典に出典があった訳である。発表以前にも様々な「予想」が為されていたが、「国書から」という点だけは十分に予想されることであった。その理由は、諸賢それぞれの考え方に委ねたいと思う。検討された6案のうちには、『古事記』『日本書紀』を出典とするものもあったと報道されている。だが「令和」が歌集『万葉集』を出典とすることに、まずは和歌・短歌関係者として素直に喜びたい。だが特に古代文学を対象とする比較文学を研究する身として、どうしても気になることがある。
『万葉集』を出典とするとは言っても、「万葉仮名」である短歌そのものから取られた訳ではなく、梅花に興じる宴を開いた際に詠まれた三十二首の歌の「序文」として書かれた「漢文」から取られていることを再確認しておきたい。既に報道でも示されているが、その「漢文」は『文選』「張衝・帰田賦」や書道の行書手本としてあまりにも有名な「王羲之・蘭亭序」などの漢籍の影響を受けているということである。小欄が言いたいのは、これを「孫引き」などと報道と同線上で騒ぐ気は毛頭ない。古代日本で書かれた「漢文序」が、必然的に漢籍の影響を受けない訳はないということである。昨今の社会で何でもかんでも英語の語彙を汎用性を持って組織内で使用しているように、漢籍に典拠があることこそ高度な先進文化であることの証なのだ。「国書」であること以上に、「東アジア漢字文化交流圏」の中に我が国の文化が成り立っていることを、改めて多くの人が意識する大きなチャンスであることを強調しておきたい。
文化の深層を考えられること
今年度「日本文学史」講義の最初はここから
みんなで「文化」として何が重要かを考えたい。
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