野球人・アスリートとしての死
2019-04-01
「引退するということは、死を意味することに等しい」
最後までそしてこれからも鍛え変わり続ける男
イチローの引退表明から10日間が経過した。桜が咲き、新元号が発表寸前であり年度が更新されつつある。NHK特集でイチローの引退までの「最後の戦い」を観た。小欄3月22日付で「願わくば花の下にて春死なむこの如月の望月のころ」(西行)の如き芸術的アスリートの「死」ではないかという趣旨のことを書いた。驚いたのは、昨夜の当該番組でイチロー自身が「引退は(野球人・アスリートとしての)死である」といった趣旨のことをこの1年以内のインタビューで述べていたことである。それは決して「予定調和」でもなく、演出的な臭いがするわけでもなく、最後まで闘い抜いて「この如月の望月のころ」を迎えたことが思い知らされた。
「プロ」であっても現役引退を「死」と捉えて挑んでいる選手が、果たして何人いるだろうか?そこにイチローが単なる「野球人」ではなく、「アスリート」であるという深い意味も隠されているだろう。同時に「神戸」に球団が今も存在していたら、「日本で(プレーする)の可能性があった」と述べたあたりに、人や土地への深い愛着といった人間・鈴木一朗のこだわりも垣間見える。嘗て中高教員であった僕は、プロ野球やJリーグに進む卒業生の姿に刺激を受けて「文学」「授業」「国語」のプロになろうと決意も新たに大学院へ進み、大学教員への階梯を登ってきた。小欄を1日始発のルーティンに組み入れたのも、文章を書く脳力を少しでも目覚めさせるようイチローの日々の筋トレに近い行為として位置付けた。だが、果たして「この仕事ができなくなったら死に値する」というまでの志があるだろうか?この10日間で、僕自身が新たに覚醒しなくては、すべてが嘘になるのだと悟った。
ユーモアと人を愛する笑顔も
孤独すぎて独りでは闘えない
西行の「花の下にて春死なむ」を再考する春である。
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