平成・イチロー 時代の去る怖さ
2019-03-25
「元号」のみならず「一時代」の去来を感じさせるイチロー選手
「変化」する怖さ・・・・・
慌ただしさの中に1月から3月半ばまではあまり意識して来なかったが、「改元」だけではなく実質的に「一時代」が去って行くのを身に覚えて感じ始めた。それはまず、イチロー選手の日米プロ在籍期間が今年を含めると(1992年平成4年〜)28年目になることで、一層あらわに年表上で僕の脳裏に意識されたことにもよる。この年数は僕にとって、中高教員から出発し現職のまま大学院に進学し苦難の末に学位を得て、大学専任教員となるまでのストーリーが語れる年表でもあるからだ。平成元年には勤務校が夏の甲子園で優勝を果たした、高校野球を司る渦中に身を置いていた僕は、あれこれと精神的な彷徨を繰り返し現在の道を選択した。2000年代平成も半ばに差し掛かる頃から渡米を何度も経験し、イチローをはじめとしてMLBを生で頻繁に体験できる期間があった。それから約15年間、時代は大きく動いてしまった。
イチロー選手が引退会見で述べた中で気になることは「本来は頭を使わないとできない野球という競技が、今は頭を使わずにできるようになってしまった。」という趣旨である。データ解析技術の格段の進化によって、選手個人が「考える」よりもチームの与えるデータ通りに働くスペックだけが選手に求められている時代と僕は解釈した。投球でも確率論で解析され、安打に関しては「フライボール革命」というフライを打つスイングが推奨されている。ゴロで内野の間を抜く安打を真骨頂とするイチロー選手のスタイルそのものが、流行から相反してしてしまったとも言えるだろう。僕たちがイチローにこれほどに魅せられる理由の一つは、人間的な成長や進化にひたむきにこだわった姿なのではないか。会見でも「人として」という語句を何度か使用し、「僕、変なこと言ってます?」と記者に問い返す場面が目立った。会見の生の場に僕がいたわけではないが、たぶん記者の対話が事務的・機械的にイチロー選手には見えたのではないだろうか。
データや機械に無自覚に支配される
否、人として「今日」をどう生きるか
怖がっていては時代を超えて行けないが、誤った道であるならば修正せねばなるまい。
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