卒業式に思い抱くことーあくがれて行く
2019-03-24
この日にどう学生たちと向き合えるかそして過去のすべての卒業生を思い出したく
人生は「あくがれ」の連続である
卒業式に学生たちとどう向き合うか?「教師」にとってここにすべてが集約されているように毎年思う。計算したことはないが、今まで果たして何人の卒業生を送り出したであろうか?初任校の卒業生などは、もうかなりの年齢になっているはずだ。人として在学時にどう生徒や学生たちとの関係を作るか。その個々への繊細で緻密な思いやりを、いかに彼らが受け止めてくれるか。もちろん若い頃は、そんな意識もなくただただその場勝負で生徒らと向き合っていたように思い返される。まさに卒業式とは教師冥利に尽きる場なのであるが、それはただ待っていたのでは訪れない深さがあるように思う。この思いを教員養成のゼミとして、学生たちの次代に引き継ぐべくまた「今日」があるのだ。
卒業生を送り出して、夜は日向の焼酎「あくがれを愛する会」に出席。社長をはじめ多くの方が挨拶で「イチロー」の引退と偉業を讃えるスピーチをなさった。思いがけず最後の挨拶などをする機会に恵まれたが、やはり「イチロー」も「あくがれ」の人だったのだといった趣旨を述べた。実は小欄の最初の頁(2009年9月25日付)は、「イチロー」が9年連続200安打を達成した年であった。その記述に「確かな1歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない」とある。「確かな1歩」とは、まさに「今」の自分から小さく確かに「1歩だけあくがれ」ることである。「今日」という24時間にどんな「1歩」を記すか。確かに緻密に丁寧に自分らしく、たぶん「イチロー」のすべてはこれであろう。まさに「あくがれ」の野球人・アスリートであったわけである。
研究・教育もまた同じである
眼の前の人にそして自分にどう向き合うか
名前とともに「あくがれ」と刻印したペンをゼミの卒業生に贈った。
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