今日もまた「いま」を見つめて
2019-02-17
生きるとは今を見つめその1日1日に向き合っていくこと
「幾山河越えさりゆかば」の連続でもある
池江璃花子さんの白血病公表、何より治療に専念して自身の日常を取り戻してもらいたい。メディアを中心とする社会的喧騒には事あるごとに辟易とするが、何より彼女が今を静かに見つめられる環境であって欲しいと願う。今朝、僕が高校教員だった頃の体育館で仕事をしている夢を見た。当時の同僚らしき人もいるし、現在の大学での同僚らしき人も混在して何らかの行事が行われている。僕はその行事で司会の大役を任せられているが、準備に手間取り開会間際にやっと講堂に行くという焦りの渦中で目が覚めた。起き上がると現実の「今」がそこにある。「今日」もまたいまの現実に向き合っていくことになる。
自らの身体であるのに、思い通りにはならない。この世に生きるということは、少なからずこうした不条理とも思える「山河」をいかに越えて行くかの連続なのではないか。身体のみではない、社会の中でいかに生きるかにも様々な矛盾や運に左右されながら荒天も晴天の日もあり旅を続ける。時にあまりにも困難な「山河」があることも、だがその苦難を乗り越える力こそが、人間の果てしなく素晴らしい価値でもある。いやむしろ直面した困難への対応こそが、生きることそのものではないか。何もかもが整い揃いいつでもすぐに手に入るという環境ばかりをよしとして、「便利」ばかりが氾濫する社会。牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」の歌のように、「寂しさ」といかに向き合うか?それでこそ「愛」や「親」や「和」の感情を初めて知ることができる。
目覚める起き上がる身体
自分で自分に問い掛ける今日
そしてまた「いま」を受け容れて越えて行く1日が始まる。
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