ああ「永久に不滅です」を宮崎に願う
2019-02-06
「我が巨人軍は」の名言野球人として紳士たれ人間たれ
日本の夢やいづこに・・・
『侍ジャイアンツ』というテレビアニメが、僕の少年時代に放映されていた。『巨人の星』に続く「ジャイアンツ」投手の紆余曲折・栄枯盛衰を描いた名作・野球アニメである。アニメを嫌いだった特異な少年であった僕は、なぜかこの2作に関しては徹底的に観たという記憶がある。『侍』の主人公・番場番(ばんば・ばん)は土佐出身の田舎者で肉親を巨大な鯨(鯨が人を襲うこともなかろうが)だか鮫に命を奪われてしまう。その悲痛な経験から「巨大なもの、権威的に肥大化したもの」を憎み、「ジャイアンツ」から入団の誘いを受けるが反発的に拒絶する。その葛藤が描かれながらも、最後は「巨大なものの腹を切り裂いて中に入ってこそ、真の敵討ちを成すことができる。」という考えに至り、「ジャイアンツ」の一員となって魔球を開発する投手として活躍するというストーリーであった。
「愛」とは「異論」を存分に受け容れることである。また「苦言」なきは、「愛」を喪失した馴れ合い教育に過ぎない。内輪での狭い思考に偏り異分子を排除してしまえば、組織や集団はたちまち崩壊する。権力の一極集中が脆弱と裏腹なことは、歴史が明らかに証明している。前述の『侍』は、こうした「巨大なもの」に反発しながら、自らの可能性を野球に賭ける生き様が描かれていた。今思うに、誠に「昭和」の思考が反映された秀作といえるかもしれない。『侍』のアニメ中でも「ジャイアンツ」の名将たる人物が、「最近は『侍』がいない」と嘆き、番場の獲得に腐心するという設定になっていた。そこで、「昭和」「平成」の30年を越えて、今はまさに当該球団に『侍』など皆無な時代となった。ファンや人にも優しく人に愛される野球人、「昭和」という時代はそんな選手たちによって景気さえも支えられていたように思う。あらためて「平成」におけるプロ野球の変質を、「永遠に不滅」と叫んだ『侍』はどのように思われているのであろうか。
宮崎に残る昭和からの「ジャイアンツ」
僕の少年時代からの夢と憧れが其処に
腹の中から切り裂いて躍動する選手たちが見たい。
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