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「脱藩」の条件

2010-09-02
1日(水)大河ドラマ『龍馬伝』が人気を博し、世は坂本龍馬ブームである。幕末の世に命懸けで「日本」を本気で改革しようとした人物の偉大さに、改めて敬意を示すとともに、その生き様が様々な解釈の中で、共感を呼ぶからであろう。その龍馬の生き方の中でも、「脱藩」というあり方について考えてみた。この平成の世にあって、会社などの組織から脱することの意味を、明確にしておきたかったからだ。

 土佐藩の中でも下士で身分の低い武士であった龍馬。藩内でも身分が高い上士との差は天と地との差があったようだ。もともと小さな藩内での立ち位置が、不公平であり、何事にも公正な判断が下されないという状況。どんなに志を持とうとも、どんなに努力しようとも理解されない環境にあること。龍馬にとって、これぞ「故郷」である土佐を捨てる、大きな条件だったように思う。

 賃金以上に働くための条件というのは大きい。労働というもの自体が、勿論、金のためではあるかもしれないが、どうもそれだけではないという考え方にこそ、人間の真理があるようにも思う。公正に公平に評価され、自分という存在を認められてこそ、組織の中で労働する意味があるというもの。綺麗事だけでは生きていけないという意見にも一理はあるが、生きるということは、そんなに無駄な時間が与えられているわけではないとも言える。

 鎖国状態の江戸時代にあって、その蛸壺の中で渦巻いていた旧弊。そして旧弊にのみ寄りかかって生きて、既得権を死守し、自己満足という低い次元で生きていた藩士たち。既得権の為に小集団化し、自分たちの利益のためだけに行動し、自分たちの立場が脅かされるような他者を排斥して生き延びていく。そんな旧態依然とした生き方が、いかに醜いものであるかを悟ってしまえば、もはや「脱藩」という道をとり、新しい「日本」を作るために広い世界に飛び出すしかないということになるだろう。

藩という組織に守られ、家族や友人など生育してきた環境を捨てるというには、よほどの決意が必要であろう。そして先の見えない幕末という時代に、常に前を見て歩き続けた龍馬。その視線の延長上に、今の「日本」があるのだ。

やはり尊大な志こそ人生に必要なのだ

「脱藩」の先は偶有性に満ち溢れた海

 またその荒波が自分を鍛え上げていくはずである
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