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思えば宮崎にいる縁(えにし)

2019-01-21
誕生日の朝
あらためて宮崎にいる自分
今までからこれからへの一日

誕生日の朝を迎えた。宮崎ではまた太陽が日向灘から昇り、爽やかな青空に輝いている。今年の暦では昨日二十日であるが、どうやら僕の誕生日の年は二十一日が「大寒」であったらしい。一年で一番寒い日に産まれたとよく言われたものだが、あらためてこの寒い朝に僕を産んでくれた母には、深い感謝の意を告げたい。自宅から歩いて数分の街医者の産科で産まれたのだが、そのすぐ近くには歌人・太田瑞穂邸があったと、小学校の時に近藤富枝『田端文士村』という書物に折り込まれた街の明治・大正時代の地図で知った。他にも芥川龍之介や菊池寛・萩原朔太郎などの邸宅があったのだが、自宅に一番近いという意味でこの「太田瑞穂」が一番気になっていたのだ。

宮崎に赴任する縁は、たぶん既に僕が産まれたその時点で仕込まれていたような気がする。なぜなら「太田瑞穂」は、若山牧水の妻となる太田喜志子の親戚筋であるからだ。喜志子は信州から東京に出て来た際は、瑞穂邸に身を寄せていたと云う。今のところの調べや聞いた範囲では、茗荷谷(文京区)に太田瑞穂邸があった際に、牧水が訪ね一目惚れしたらしい。だが、僕が小学生の頃から気になっていた「太田瑞穂」の名は、強く牧水へと連なる道であることは間違いない。東京生まれ東京育ちの僕が、地方大学赴任として宮崎と縁があったのは偶然ではない。そして宮崎に深く親しみを覚え、素晴らしい歌人の方々や関係のみなさまと出逢い、第二の故郷と定めたくなる思いを持つのは、この牧水先生にまつわる縁(えにし)によるものなのだと思う。

この天命に至るまでの長い道のり
職場にも短歌の環境にも恵まれたいま此処
この世に生まれ自分の持っているものを存分に発揮する場を得た幸せ。


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