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稀勢の里の引退に思う

2019-01-18
「一生懸命にやって来た
 いい稽古もできていた」
横綱として彼が示したものは・・・

2017年3月26日付小欄に次のようなことを記した。この期に及び再読していただきたい。
「さて、稀勢の里関を批判する気は毛頭ないことをお断りしつつ、聊か思ったことを記しておきたい。素人ながら「肩・胸」は、相撲にとって誠に重要な身体箇所だろうと思う。今回の「強行出場」は、医師の診断の埒外で本人が決断したことであろう。懸念されるのは「筋断裂」などであろう症状が、今後の関取生命に致命的な打撃に至らないかということである。新横綱の場所であるゆえの責任もあるだろうが、今後を長い目で見た際の責任もあるはずだ。その後、ある放送局のニュースを観ていると、ファンの方が「神風が吹くのを願っていた」とコメントしていた。満身創痍の状況で撤退ではなく抗戦し、あらぬ「奇跡」があるだろうと願う精神構造が危うい、ということを我々は痛いほど知っている筈である。野球などでも同じであるが、肩が痛い素振りを見せずに考え難い球数を投げ抜くことや、デッドボールに当たった際も痛い素振りを見せないことが、果たして選手として妥当な姿勢なのかと疑うこと多い。むしろ「痛いものは痛い」と言える勇気ある撤退こそが、個人を追い込まない社会のあるべき構えではないのか。この国の隠蔽体質は、こんな点にも関連しているのではないかとさえ思うのである。いずれにしてもスポーツならまだ、「尊い」と言えるのであるが。

残業問題、教員の部活指導など休日の扱いについても
休まず仕事に身を投じることを美徳とする体質に起因している
稀勢の里関が大横綱として、長く活躍し続けることを願うばかりである。」



いかがであろうか?僕はこのように記した翌日には考えを改めて「出場に肯定」の考えも示している。それだけ「横綱」と云う存在の大きさを感じられたからであろう。横綱在位12場所・36勝36敗・休場率5割の成績は、やはり再掲した記事の心配がそのまま現れた形となってしまった。だからこそ思うのだが、あの怪我を押して稀勢の里が出場した姿を見て心を動かした者は、少なくとも彼の横綱としての実績を悪く言うべきではないのではないだろうか。”かの”段階で稀勢の里は「横綱」としての最大限の力を発揮したのだ。そしてどんなに身体が厳しい状況でも、稽古や治療を怠ることなく、まさに「一生懸命」に相撲道に精進したのではないか。もちろん「プロだ」「相撲道としては甘い」と云う意見もあろう。だがやはり問題なのは、一力士を旧態依然の「精神論」で追い込んでいる角界全体ではないだろうか。稀勢の里の姿はアスリートとして、世界を舞台で活躍する錦織圭などに比べると隔世の感を抱いてしまう。それは彼自身の問題ではなく、様々な問題が露見する角界全体の問題ではないかと思うのであるのだが・・・・・

「働き方改革」は「働き方」のみならず
仕事観そのものが、この国ではまったく成熟していない
稀勢の里が理性ある角界改革の先導役として親方となることを願う。


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