短詩系のこころはせめて
2019-01-11
「国文学史(中近世)」講義にて新年の俳句を一句
「創作」体験は免許に必須では
昨今の小中学校の学習が、「活動型」に大きく変化してきたことは小欄でも折に触れて記してきた。「活動型」の最たるものは「実作」であるのは言うまでもない。短歌や俳句教材を学べば、「読むこと」のみならず必ず「書くこと」に関連させて「実作」に及ぶ。よく小中学校に出向くと、廊下に児童生徒の短歌や俳句作品が掲示されていることも多い。だが、常に問題だと感じるのは教師の「詩ごころ」である。児童生徒の掲示作品の中に、教師の作品を発見することはほとんどない。そして様々な懇談の場で現職教員の方に聞くと、「短歌俳句は何がよいかわからないので、前向きには指導できない」というのが大抵である。問題なのは短歌俳句を概念として「わかろう(理解)」しようとしていることではないか。
何よりまずは子どもたちのメッセージとして、向き合って読む姿勢が必要である。そしてなるべく、自らも上手下手を抜きに「実作」すべきではないか。小学校の教員採用試験には、「水泳」の実技がある。プール指導に当たれるかどうかということで、最低限の泳力を確認するためだろう。もちろん「泳ぐ」ことには得手不得手があるゆえ、「上手く」ではなく「泳げる」ということが必須なのである。採用試験にとまでは言わないが、教員免許を取得する段階では「実作」の「経験」が少なくとも必須なのではないか。こんな趣旨から「国文学史」講義では、新年の「俳句実作」に挑むことにした。「食べ物」を題材に「正月」に関連した季語で詠む。散文的を排するには、切れ字の使用などの指摘をしながら、概ね全員が句作を発表した。留学生も含めてなかなかユニークな作品も並んだ。教員免許取得に必要な科目として、この体験を通した活用できる「文学史」が今求められている。
なぜ芭蕉は偉大であったか?
この問題意識を真に理解するためにも
「短詩系」のこころを、せめて学ばせて教育現場に送り出したい。
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