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あるべき「学校」を求めて

2019-01-05
「静かに言うことを聞く」こと
「自らの発想を豊かにする」こと
「学校」ってどんなところなのだろう?

「体育座り」といえば、どんな座り方かすぐにお分かりであろう。校庭の地面や体育館の床に尻をつけて座り、両膝を曲げて両手でそれを抱えるようにして前で手を組むという座り方である。何で読んだかは忘れたが、これこそが「日本の学校教育を象徴する姿勢」だという指摘がある。「動かず静かにして指示通りに聞く」と言う事であろう。また明治に起こる近代教育において、日本全国で言語を共通して分かるようにする為に、標準的な「国語」を国家が作り上げた歴史があることも意識しておきたい。「国語」という教科名そのものが、「体育座り」に似た発想の「規範性」を孕んでいるということになろう。自ずと「学校」とは、強制力・拘束力のある「装置」として機能することが歴史的な存在理由になっているわけである。

学習者の豊かな発想を引き出し、自由で楽しい授業や活動はできないものか?時に学園ドラマなどの虚構を観ると、現場にいればその矛盾について考えさせられるものだが、「あくまで虚構」とするか、「あるべき教育」の可能性と見るかと捉え方も多様である。前者はあくまで「体育座り」を肯定するが、後者は「自由」への解放性を模索する姿勢。あくまで二項対立ではなく、この矛盾にいつも葛藤するのが「教師」ではないかと思う。この日は、卒業後3年ぐらいまでのゼミ出身者たちの集まりに呼ばれた。話していると、新任教師として様々な葛藤の渦中で教員生活を送っていることがひしひしと伝わってきた。その「葛藤」の内容が僕自身の当時を思い返させてくれて、次第に懐かしい気分になってきた。ただし往時より、良くも悪くも時代は大きく変わってきた。時代を見据えながら「自らの発想を豊かに」する、いわば「学習者主体」とは何かを問い続け、教員養成に向き合っていきたいとあらためて考えさせられた。

明治・大正・昭和・平成
この150年間のうちの30年間
卒業生と語り合うことで自らの立ち位置を俯瞰する。


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