急がない宮崎
2018-12-31
横断歩道で車が止まってくれる都会では失われた人々の心
馴染みのお店はまさに家族のごとく
「周圏論」という言語学的な考え方があって、都を円の中心として描かれた何重もの同心円上の外側の地方に、古い言葉が保存されていくというものである。要は「方言」に「古語」が生き永らえている場合があると云うこと。宮崎では「よだきい」=「面倒くさい」などが『源氏物語』にも見えて、その代表的な例である。これは何も「言葉」に限ったことではないように、宮崎生活の中で感じることが多い。人々の生活慣習・考え方にも「古きよきもの」が保存されているようだ。昭和・大正・明治・・・どこまで遡れるかはわからないが、時間感覚一つにしても急かされない煽られないゆったり感が宮崎のよさであろう。比較的、地元出身の方はこれを自虐的に「宮崎の欠点」のように言う場合も目立つが、僕としてはこの喧騒の「煽り社会」の中で宮崎の時間意識こそは貴重ではないかと常日頃から思っている。
信号機なしの横断歩道では「歩行者を優先して停止する」と言うのが教習所での教えであるはずだが、概ね東京で車が停止することなど望むべくもない。その傍証として僕自身が宮崎に来て運転した際に、その「停止する」感覚が無かった自分にいつしか気づいた。ところが、左折などの際に当然ながら横断歩道の歩行者を優先して停止していた時、渡りきった小学生たちが歩道で運転する僕を振り返り頭を下げたことがあった。その口は明らかに声を出して「ありがとうございました」と動いている。この光景に出逢ったとき、涙が出そうなくらい人の心の温かさを感じ取った。それ以来、まずは「生きた歩行者」を最優先して運転するという意識が深く僕の中に根付いたのだ。そればかりではない、様々な生活の場で「先を急がない優しさ」に出逢うことが宮崎の日常である。「利便・効率・合理」などの感覚に侵された都会では失われた、人間臭い生き方が此処にある。
夜中から餅をついて直売するお店
ゆったり奥様と語り合える焼肉店
急がない宮崎が大好きなのである。
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