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題詠「平」ゆえに平かならずー宮崎大学短歌会納会

2018-12-27
題詠「平」
果たして「平成」は「平らか成る」ものであったか?
短歌に表現される逆説・・・

宮崎大学短歌会も納会として、今年最後の歌会を開催。まずは吉報としては、来年3月に東京で開催される「大学短歌バトル」への出場が決まった。今年の3月は九州大学と合同チームであったため、単独チームとしては初出場となる。予選歌10首に対して3人の歌人の方々が評価をくだしたわけであるが、本会の歌に対しては「△」2票「○」1票の合計「4点」を獲得しての出場であった。評価としては「◎」3点もあるのだが、三者すべてから何らかの評価を得たバランスに長けた歌を揃えたと考えてよいだろう。今後は本戦までにこのバランスを活かしつつ、いかに個性も発揮できるかを練磨していくべきではないかと思う。

さて、歌会の題詠は「平」である。「平成最後」を意識してのことであろうが、自ずと「平」を詠もうとすると逆説的に様々な「起伏」が詠まれるという感想を持った。「平らか」な状態とは、相対的に「凹凸」があるからこそ意識できるものだ。個々の歌の具体的な批評は小欄では避けているが、自らの歌に詠んだ「水平線」一つにしても、「日が昇る」ことで様々な比喩として読まれるのだとわかった。そして「日」は昇ってもいつも見えるわけではなく、天候状態に左右され波乱万丈な光景として人の目に捉えられる。要は一つとして同じ「水平線」がそこにあるわけではないのである。先頃発見された牧水の未発表歌「曇ればひそみ」を一部本歌としたが、当該歌の詞書には「大馬鹿になる法をよめと乞はれて」とある。「太陽」とは誇大的であり謙虚さを兼ね備えた逆説的な存在でもあるのだ。

果たして「平」とは何であろうか?
起伏や振幅を繰り返し時代は前に進む
思い新たに次なる時を待つ


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