短歌二声の交響が呼び起こすもの
2018-12-22
短歌に内包される二声語り手の複数の声の響き合い
創作・解釈・そして実際に朗読でも
牧水短歌の朗誦性を考えているが、敷衍して短歌の「声」の要素に大変興味を持っている。『角川短歌』(特集「短歌の構造」)で宮崎出身の歌人・吉川宏志さんが、「韻文と散文の違い」における仮説として「二声が響き合う」ことを提言したことも大きな契機となった。構造的に「二声の交響」が、短歌を「説明」ではなく「詩」たらしめているわけである。「交響」は言い換えるならば、「視点の転換」「語り手の交代」と考えてもよく、多重多層な見方や複数の言い方があるからこそ三十一文字の世界が、大きな反響を呼ぶことになる。先日は、この短歌構造を可視化・体感するために、講義で複数人の学生班で解釈に基づき「声の重ね合わせ」を試みてもらった。
三十一文字をただ上から下に読み下すのではなく、余韻・余白に生じる声や外野からの野次的な声も重ねる。「リフレイン」はその代表的なもので、創作主体が届けた声を心の中で反響させ繰り返し「声」として再生する。楽曲における所謂「サビ」の部分が特に耳について残るように、短歌の字眼を含むフレーズを繰り返し朗詠する。この日は、ちょうど市内で毎月行われている詩の朗読会に久しぶりに参加した。その場でも先日創作した短歌連作8首を、「二声」を意識して朗詠した。読み手は時に「解釈的」に受け止める場合もあり、「文語」部分の現代で耳のみでは分かりにくい部分に現代語の「解釈的挿入句」も交える。ライブ性を活かし場の雰囲気に合わせ、アレンジは即興性に委ねた。まさに声としての「短歌」、あれこれ動きながら考えてみたいテーマである。
牧水の耳と声
みやざきでこそ聞こえてくる声
地方でこそ耳を澄ましてこころ穏やかに
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