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スポーツはこの社会でなぜ?

2018-12-21
「閉鎖・杜撰・主従」
スポーツ界の不都合な真実
社会が容認する空気もあったか

メディア報道でも、今年を振り返るといった趣旨の特集が多くなった。今年の漢字は「災」、たいていアナウンサーは「転じて福となす」と続けるのだが、天災のみならずその「災い」の根は深いと感じる分野もある。中でも今年相次いで露見したスポーツ界の体質的問題は、この国の社会構造や歴史にも関係する奥深い問題であると思う。概ねその原因は「閉鎖的体質・杜撰な組織運営・過度な主従関係」だと、あるテレビ番組で指摘されていた。密室の中で組織的な公正や均衡を欠き、指導者と選手の関係は絶対服従が強要される。この三要因が相互扶助的に作用し、陰湿な指導社会を作り上げている。

これは「スポーツ界」の問題として指摘されているが視野を拡げてみると、この国の社会の様々な分野に同様の体質が見える。蛸壺の中に籠り込み、他者の介入できない独特の空気感をまずは醸成する。組織としては広範な情報には触れようとせず、経験で獲得したことのみの主観的な押し付けを横行させる。ゆえに雇用や指導される側が、広い視野で問題意識を持つと上に立つ者は不都合ゆえに、意見を聞かずに暗に服従を求めるわけである。こうした「空気感」の中で、公正な雇用や指導など覚束ないことは自明であろう。だが考えてみよう、この国の社会にはどこか常に「隠す」と云う空気が蔓延している。まずは身近な人に「隠さない」ことから始める、根本的な問題のようにも思う。

「災」は体質から生じていることも
誰もが求めた社会に逆行する分断・閉鎖の横行
「見える」「つながる」「尊重し合う」社会でありたいのだが・・・


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