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座の中にある「われ」

2018-11-30
連歌を付けていく体験活動
季節を意識しつつどんな情景を
「われ」の表出を恐れつつ楽しみつつ

中近世文学を対象とする「国文学史」の講義で、連歌を実際に付けていく活動を試みた。前週に「連歌式目」にはどのようなきまりがあるかを読み取り、基本的なルールとして大切なものを班活動で抽出した。それに則って、十数名のクラスの連歌の座が展開した。昨今の教育は「対話的な協働性」を旨とする方向性が志向されているが、連歌そのものがこの趣旨に実に合致している活動である。「文学史」は知識にあらず、同様の体験することで初めて同時代性が思考できるはずである。

展開して気づいたのは、学生たちは当然ながら「われ」の表出の度合を気にしている。季節の情景のみならず、「恋」に展開する可能性がある発句を僕がしたためたゆえである。2年目で仲も深まった旧友同士のうちで、それぞれの現在の生活や恋を素材として意識しているようだ。もちろんそれは虚構であってもよく、「ある物語の登場人物に成り代わって詠む」ことなどを助言した。近現代短歌が志向してきた「われ」の表現と共同的類型性のあった古典との乖離。この境に立たされてこそ、「文学史」の事実に向き合うことができるはずだ。

「君の傘木の葉も染める時雨かな」
「君」とは誰のことを想像するか?
「主体的・対話的」は既に日本文学の中に眠っている。


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