できないと思い込んでいること
2018-11-28
「確かに、できないと思い込んでいることのなかには、やればできることが、いっぱいあるんだよな。」
(2009年11月28日『ほぼ日手帳』当該ページより)
昨日、小欄に記した手帳を本棚から出したままにしておいたもので、当年本日付ページを覗いてみた。手帳の各日下欄には何らかの言葉が記されており、当日は冒頭に記した言葉であった。どうやらその言葉に感化されるものがあったらしく、赤で下線が付されている。その日の夕食は、所謂”デパ地下”で惣菜を購入し、マンションの食卓で独りで食したのを記憶している。だが喩えようのないやるせなさに襲われて、サラダを食べつつ何とはなしに涙が流れた。都会の孤独、そしてまだやるべき道に踏み出せていない焦燥感、その涙は「今」に繋がる何かを語っていたようにも思う。
だがひとたび下降した精神は、むしろ十分に屈曲して跳ねる力を得たのだろう。その「時」を契機に「活力のみなぎり」ということばが、やはり赤字で手帳に記されている。その夕食後に、まさに起ち上がってジムに向かっているのだ。人はいつでも「ベスト」な状態で居られる訳ではない。そしてもちろん、万能でもない。紆余曲折、そして上昇下降を繰り返しながら、まさにさざ波を立てつつ流れる瀬のように人生を歩む。自分の生きるリズムある瀬音だけは聞き逃さず、あちこちの岩場にあちこちを打ちつけながら進むのである。9年後の僕が「今」こうして宮崎で大学専任教員であることを、あの日の「自分」は予想したであろうか。
思い込みを排し
やってみる力を得る
9年前の自分に今また励まされる。
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