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人は「おく」に旅する

2018-11-20
「外山ふくあらしの風のおときけばまだきに冬のおくぞしらるる」
(和泉式部『千載和歌集』冬・396)
「時間的に現在から遠い先のこと。将来行く末。」(『日本国語大辞典第二版』)

牧水は「みなかみ」の「おく」=「水源」を目指す衝動に駆られていたのだろう。歩み行く道、その「おく」には何が待ち受けているのか?眼前に手に取れる川の水面は、いったい上流のどこに源を発しさらに川下へと流れ行くのだろう。鴨長明『方丈記』冒頭に典型的に示されるように、「ゆく河」の絶え間ざる流れというものは、人間の眼には見えない「時間」を可視化する。宮崎県日向市東郷村(現東郷町)の牧水生家の前にも、坪谷川の流れがあり瀬音が常に聞こえる。可視化とともに、川は時間を「聞こえる」ものに変換し人間の生きる無常を掻き立てる。牧水の耳は常にせせらぎの音に刺激され、自らの身体を動かしそれを短歌ということばに変換して行く。

今回の牧水顕彰全国大会、夜の「ほろ酔い学会」で一言述べる機会を得た際に「おく」の話をした。会の主旨を尊重し「ほろ酔い」であったゆえ、衝動に任せて話しあまり記憶は定かでない。冒頭に示したのは古典和歌における「おく」の用例だが、語彙としては『万葉集』時代から使用されている。時代とともに様々な意味が派生し、当該辞典にも多くの意味項目が立てられている。冒頭に記した「意味」の記述には、注記的に「過去の意には用いない。」ともある。「おく」は「掘り返す」のではなく「掘り進む」のである。だが「みなかみ」を旅して僕自身が実感したのは、やはり「おく」には否応がなしに「過去」が連なっているということだ。「過去」と繋がらない「おく」はなし。「未来」と「過去」は、郷愁の彼方でどこか循環しているように思う。ちょうど川を流れた水が海に注ぎ、再び水蒸気となって大空に昇り雨として山上に降り注ぐように。小学校の時の自由研究発表に「水の循環」をテーマに選んだこと、を思い出した。

ひとり孤独に「みなかみ」へ歩いた牧水
「旅」という行為に作用する身体
「われ」の「おく」へと向けて人生の旅は続く。


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