「皮膚にあるといふ説」の季節
2018-11-16
「深秋はいたく納得すたましひは胸ならず皮膚にあるといふ説」(伊藤一彦『微笑の空』より)
寒さ沁み掌は乾燥し温き泉に暖めらるる
今季初めて早朝の寒さを覚え、起床し衣服を重ね机に向かう。東京からやって来た両親は宮崎の日中の暖かさにはご満悦であったが、日のなき時間帯の寒さは身に沁みるらしい。クローゼットの奥に重ねられたダンボールを弄り、電気ストーブを見つけ出し二階から一階へと降ろす。ウォーキングで暁を見上げれば、空気が頰の皮膚に貼り付いてくるようである。歩くフィールドの雑草は丈が短くなり芝は靴裏に付きやすくなり、そのベージュに染まりつつある上に枯葉が目立ち始めた。掌の皮膚は実に敏感で、寒さとともに湿度が下がって来た空気を計るようにカサカサと乾燥する。同時にことばを放つ唇も季節が冬へと向かうことを、強くこころに刻む外界との連結機である蚊のようだ。
こんな深まって来た晩秋に、冒頭の伊藤一彦先生の歌を思い出した。人の「たましひ」の在り処は「胸」ではなく「皮膚」であるという「説」に「納得」するのだと語る。殊に「深秋はいたく」という初句からの表現は古語の「いたく」=「たいそう・とても」の用法であろうが、「皮膚」の上に沁みる「痛さ」という現代語とも響き合い、「納得す」の意味にまさしく納得する歌である。「たましひ」や「こころ」と言えば、「胸」に手を当てて表現することが常套であろうが、それは「頭」でもなく「皮膚」にあるという捉え方は、まさに前述した今現在の季節にこそ実感できる。冷えた「たましひ」を暖めるには、全身の「皮膚」を考えるべきであろう。日常的に通う公共温泉の湯温も、だいぶ上昇して来た。源泉を漬す浴槽の湯温は、季節の足取りそのものを感じさせて下がる。その差を皮膚で体感すれば、自ずと血行がよくなるように思う。僕自身の「たましひ」は、いつもこの温泉で暖められている。
身体は冷やしてはならぬ
「皮膚」は湿い温かくありたい
「たましひ」がカサカサに乾燥しないように・・・
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