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命をありがとう

2018-11-13
三食その都度に思う
「いただきます」の意味を噛み締めて
食事が支える自らの身体

宮崎に住むようになって、新たに得られた感覚がいくつもある。自然天象を自らの実感として受け止めること、鳥や虫たちが身の回りで生きているということ、そして自然の循環摂理の中で自らが生かされていること、である。雨がいつ降り出すかは、湿度や気圧の状況を肌で感じる。鳥は鳴き声や翔ぶ姿に勇気づけられ、蝉や秋の虫の鳴く音に耳を澄ます。もちろん住居の中に大きめの虫が越境してくることもあるが、なるべくなら自然に返すよう心がけている。そして何より敏感になったのが食生活、その一口一口に自らの命が支えられていると思うようになった。都会では動物たる人間が、こうした自然の摂理さえも忘れ去ってしまう。

朝のウォーキングで身体を動かせば、自然と空腹となる。研究室で脳を働かせれば、その内容に応じた栄養素が補給したくなる。その日のコンディションや仕事の内容に応じて、夜間に身体を修復してくれる成分を寝る3時間前までに補給する。それぞれの食事に「必然」がある。もちろん、血流を促し精神を解放する酒にも理があると思っている。このように考えると、自然と必要な食事の種類と量に辿り着くことができる。蛋白質がなければ筋肉はつかず、様々な栄養素を活かすためのビタミン類は野菜や果物を摂らねばならない。また動くためのエネルギーとして、炭水化物もそれなりに必要である。まさに生きるために必要性があって食べるのである。

様々な「命」をいただき
生かされている「われ」
「食文化」の基本は「命をありがとう」ではないか。


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