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躍起を抑えるためには

2018-11-12
「あせってむきになること。、あた、そのさま。」(『デジタル大辞泉』より)
無意識にいつのまにか陥ってはいないか?
百害あって一利なし

「あせる」という精神作用は誠に害ばかりで、時に危険さえもたらすものと思う。あせればあせるほど、探し物は見つからず、物は正確に数えられず、丁寧な所作をすることができなくなる。自動車を運転し始めた頃、車庫入れをする際に「道路を走る後続の車を気にしないこと」と言った趣旨のことをよく父に教わった覚えがある。誰しも免許取り立てでの車庫入れは苦手なものだが、その上に「あせり」があっては必ず自家用車を傷つける結果となってしまうということであろう。歴史上の諸事を見回してみても、戦国時代などは「あせった」方が負けとなることが多いように思う。智謀の立つ者は常に冷静に戦局を見極め、大局小局を柔軟に見る眼を持って行動に出るのであろう。

昨今、自らを省みて「躍起」という語彙の状態に陥らぬようになれねばと戒める。その意味は冒頭に記した通りであるが、「あせり」が「むきになる」状態を生み出すというわけである。「焦」と漢字として漢和辞典を引けば「解字」欄に「鳥を火であぶることを意味し」(新選漢和辞典Web版)とあって、成り立ちは誠に恐ろしい。元来は「焦げる」が原義であり、そこから「思いなやむ(こがれる)」や「気がいらだつ(あせる)」と派生し、『字通』に拠れば「国語で、あせる。」とあるゆえ、日本で生じた派生的意味であると言えるのかもしれない。再び原義に戻っても「憔悴」などの「憔」の文字にも通じ「心気すぐれず、顔色の衰えること」の意である。会意文字として「下から火で炙られた状態」、まさしく自らの身を滅ぼすかもしれないのが「焦り」ではないかと思うのである。

「智」とはいつでも冷静であり得ること
知らず知らずのうちに身を傷つけてはいないか
「躍起」な状態になる前に自らを見つめる眼を持ちたい。


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