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「言葉の王国」ーイメージの衝撃力

2018-11-08
「突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼(まなこ)」
(塚本邦雄『日本人靈歌』より)
「現実を越えた現実」

昨日に引き続き『塚本邦雄』(島内景二氏著・コレクション日本歌人選019 笠間書院2011)から衝撃的な歌とその鑑賞解説について。「『物語』がイメージの衝撃力によって生動し」という島内氏の解説文そのものの作用を、塚本の短歌は僕の中にもたらせてくれた。島内氏は「これが、塚本邦雄が短歌の世界に樹立した『言葉の王国』だった。」と解説文を締め括る。まさに「虚構(フィクション)が、リアリティ(現実感)を獲得している。」という訳である。昨今は、WebはもちろんTVでも、防犯カメラの存在や一般の多くの方が写真や動画の撮影をいつでもスマホで手軽にできることから、「決定的瞬間」の映像が一般化してしまったように思われる。犯罪や事故の瞬間をワイドショーなどでは垂れ流すゆえ視聴者は馴らされてしまい、むしろリアリティを失いつつあるのではないだろうか。

毎朝フライパンで「目玉焼」を焼いて、納豆ご飯とともに朝食としていただいている。しかもフライパンに割り落とす生卵は2個。いま小欄に「目玉焼」という料理の呼称を書き記したが、台所に立って焼いている時点では、この虚構の「言葉の現実」が極端に去勢されてしまうような気がするのである。フライパン上にはまさしく「目玉」が2個あるのだ。調理方法としては黄身をどのような状態にするかが焦点であるが、現在の僕は生状態で皮膜で覆われるよう、フライパン内に水を入れて蓋をして蒸すという方法を採る。まさにリアルな「目玉」であると同時に、この部分が料理の「目玉」でもあるのだ。今日も一日動くための栄養分を「目玉焼」は与えてくれる。やはり「命をいただきます」なのである。島内氏の鑑賞にもあるが、「突風に生卵割れ、」という情景そのものは「イメージされた」ものであると云う。下句との呼応関係が、何をイメージするかは、読書の想像にお任せした上で島内氏の鑑賞をお読みいただきたい。

安易に映像を観るならば
むしろ「リアリティ(現実感)」は獲得されない
映像の氾濫はむしろ我々に「現実に虚構が侵食する」恐ろしい作用を与えてしまう。


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