暗記にあらず一首に学べ
2018-11-02
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」(西行『山家集』より)
さてこの歌の魅力はいかにと考える文学史
中世から近世までの文学史を概観する担当科目「国文学史Ⅲ」も5回目。15回の三分の一を経過することとなった。平安朝(中古)からの和歌の流れとして『新古今』を中世の始発とし、『平家物語』などの散文作品にも「和歌的」表現が垣間見えることなどについて講じてきた。かなり以前から大学で「文学史」の講義を担当するなら、と考えていたことがある。決して項目羅列暗記の講義内容にしない、ということである。高等学校でもそうであるが、「文学史」といえば作品や作者を強制的に覚え込み暗記することが学びだと考えられている。だが学習者は「試験」などが終われば、その「暗記」も虚しいものとなる。「知識」は調べればすぐにわかる時代、ならば文学史を創り上げた「ことば」そのものに触れて、その仔細な機微を味わうことこそが学びなのではないかと思うのである。
今回は『新古今』を扱う最終回として、西行と式子内親王について考える回とした。そこでそれぞれの和歌一首を取り上げて、その解釈と批評をグループで考えて発表し合うという内容とした。西行に関しては、やはり冒頭の一首となろう。「願はくは」という懇願の心を初句に置くことで強い訴えとなる。「花・春・如月・望月」という取り合わせが豪華である。(特に「きさらぎ」を漢字表記で「如月」とすると「月」という共通文字が響き合う)上句が強い声で切実に訴えているのに対して、「その」以下の下句が冷静に語り出している。「春」という語には、西行の「熱烈な情熱・恋」などの人生が読める。概ねこのような鑑賞・批評が3人1組のグループから出された。例えばこの歌を目的も示さず暗誦せよ、と言えばその機会には暗誦したとしてもすぐに忘れることになろう。人は「看板」を見ても、その店の料理を記憶することはない。だが実際にいかに美味しいかと食べて語り合えば、その名物料理を忘れることはないはずである。
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」
(式子内親王)
この歌なども、「忍恋」の題詠だと知識を伝える前の鑑賞が大切なのである。
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